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朝鮮チームの勝敗がなぜ中國人の心を振るわせるのか

朝鮮チームの勝敗がなぜ中國人の心を振るわせるのか。

タグ: ワールドカップ 朝鮮チーム ポルトガルチーム

発信時間: 2010-06-23 17:37:56 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

実のところ朝鮮チームの勝ち負けは我々とは関係がないはずだが、ではなぜこのチームのパフォーマンスがかくも深く我々の心を動かすのだろうか。

まず、朝鮮チームに我々は改革開放前の中國チームの姿を見ているのだ。前世紀の60から70年代、中國は貧しくて閉ざされており、対外開放されておらず、體育運動は完全に『お國のために栄譽を勝ち取る』道具とされており、重たい政治と功利の要素を負い、かつ世界の體育運動の流れとのつながりがなく隔絶されていた。朝鮮チームのワールドカップの競技場での厳粛で規(guī)律のある個性の全くない姿は、我々に數(shù)十年前の自分、幸いにして我々が別れを告げたあの時代を彷彿とさせる。1950年から60年代に生まれた中國のサッカーファンは自分の車を運転して家に帰り、ビールを飲みながらソファーにすわってLEDのハイビジョンテレビを見る時、朝鮮人と自らを較べて心の中できっと次のように呟く事だろう:中國人の生活には天地をくつがえすような変化が起き、物質(zhì)的生活、とりわけ大都市の生活水準は全く歐米のそれに劣らないと。だだし豊かな生活の背後で、我々の精神は金銭と物質(zhì)的な楽しみの森の中でさまよっている。これが朝鮮とブラジル間の第一戦ののち、メディアと大衆(zhòng)の非常に強烈な反応が起きた事の原因である。

さらに朝鮮チームがポルトガルに大きく負けたのち、多くの専門家が戦術面での原因の分析を行なったが、私は更に深い原因は會場の外にあると考える。この事は我々がサッカーの國家チームの將來の発展すべき方向を考えるきっかけを與えている。

第一に、國家級サッカーチームを再度専門チームとして結成して訓練する方式はだめであろう、これは中國社會を再度前世紀の60年代に戻すのと同じである。サッカーのプロ化の流れは戻す事はできない。

第二に、國レベルのサッカー関係者は金の前に跪いてしまい、元気と闘志を欠いている事は衆(zhòng)目の一致するところである。社會的道徳観念と國民の素質(zhì)が、物質(zhì)的生活條件が充足するにつれて低下傾向にあるのは明らかで、サッカー界の腐敗と國レベルのサッカーの素質(zhì)の低下は社會全體の姿の縮図である。もしこれを変えようと思うなら社會全體の道徳水準と同期して向上をはかるべきで、これには多くの努力と長い時間を要する。

第三として、サッカーをうまくやるにはいったい精神が重要かそれとも技術か。私が思うに両者共に重要である。どちらが欠けてもだめである。但し目下の男子サッカーの狀況から言うと、精神が技術に比較してより重要で、これをうまくやれば容易に成果を見る事ができるだろう。

第四に、サッカーのレベルの高低と國の大小は関係がない。ただサッカー人口とサッカー競技場數(shù)とは関係がある。中國は13億人いるが青少年のサッカー登録人口は情けない事にわずか7000人である。日本は60萬人である。中國の高層建築や自動車生産臺數(shù)は世界一だが、芝張りのサッカー場の數(shù)は世界で100番目以下である。サッカー人口が明らかな増加を示す前の段階において、中國のサッカーのレベルをどう上げるか語るのは、実際のところ意味がない。

「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」2010年6月23日

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