3度にわたる日本語ブーム
中國語は東南アジアに影響を與えており、日本語が中國に入ることは決して珍しいことではないと一般的に認識されている。
日本大學文理學部中國語中國文化學科の平井和之教授によると、日本語が中國に大量に伝わったのは日清戦爭後が最も早いという。當時挫折を味わった中國人の間で日本に學ぼうというブームが巻き起こり、日本の書籍が大量に中國に持ち込まれた。その過程の中で、元々中國古典に存在していた「哲學」「文學」「経済」「社會」「革命」などの単語が、新たな意味を含んで、中國に逆輸入された。平井和之氏は、「これらの単語は新たな意味を含んでいたが、どの単語も元々の基本的な意味を殘していたため、受け入れられやすかった」と述べた。
施正宇氏は「日本語の方が中國語の特性に合致しやすい」という見解に賛同した。英語の『Democracy』と『Science』という言葉が中國に入ってきたとき、『徳先生』、『賽先生』と音訳されたが、後に、日本語の『民主』、『科學』が取って代わったという。
このような「逆輸入」の波が、新中國改革開放初期の頃にも訪れた。改革開放後、日本は再び中國の見本となり、日本の映畫、小説などが一世を風靡し、「完勝」「新幹線」「人気」「新鋭」「友情出演」「不景気」「充電」など現在的意味を含む言葉が中國を席巻した。
ここ10年では、ネットの力を借りて、日本の漫畫、ネットゲームなどが「給力」「御姐」「控」などの言葉を中國語の新トレンドにした。「明治維新の頃に中國に伝わった日本語の単語は科學用語が中心で、書き言葉が多かった。1980年代、90年代に伝わったものは、サイエンステクノロジーの発展もたらした日常生活の用語が中心だった。第一次、第二次日本語ブームの言葉は、若者から老人まで広く使われたが、現在のものに関しては、ネットとアニメで使われる言葉が中心であるため、ほとんどがネット上の若者にしか使われない。」施正宇氏はこう分析した。
しかし、注意すべきこととしては、施正宇氏が今回のブームを第三次日本語ブームと言ってよいのか疑問に感じていることだ。施正宇氏は、「まだ期間が短すぎる。今回の日本語が時間の流れと共に姿を消してしまわないかどうか、中國語に定著するかどうかを見極めるためには、まだ時間が必要だ。」と述べた。施正宇氏は日本語の「幼稚園」が中國で「幼児園」に代わったことを例にとり、中國で定著する言葉と定著しない言葉があるとした。「ある言葉は登場したばかりの頃は非常によく使われる。例えば、五四時期の『徳先生』『賽先生』は、一時期、社會のトレンドにもなったが、現在、この2つの言葉は使われていない。」
施正宇氏は言語を水に例えた。「流れ著いたところで吸収される。」言語が互いに交流するのはよく見られる現象である。ある時は、意識的にその言葉を「浄化」する必要があるが、多くの場合は、自然に新陳代謝が行われ、自動的に淘汰される。施正宇氏によると、中國人は外來語を吸収した後、中國人の表現に合うように、その言葉をいち早く中國語化するのだという。平井和之氏も「外來語を使うことは悪い事ではない。しかし、一定の期間、選別にかけられて初めてその言語の中に採り入れられる」と述べた。