75歳日本人が灼熱の下、謝罪の絶食
香を焚き、絶食して祈る2日間
江東門記念館の正門に入ると、巖田さんは左右を見回した。初めて目にする光景だ。 「前はこんな風(fēng)ではなかったです。この十字架、この銅版はありました…これはなかったような気がします。…」老いたれども弁舌ははっきりしている。歩きながらとつとつと話す。
祭壇につくと、黒い壁を背景に金地に黒文字で「奠」と一字が掛けてある。巖田さんは「お焚火は問わず人に訴えてくるものがあります。亡くなった魂は「弔い」で慰めなければいけません。」というと、線香を一束購入し、焚火に向かう一本道を通り、腰をかがめ火をつけた。線香の煙が立ち?xí)Nる。
線香を上げ終え、巖田さんは肩に掛けていた頭陀袋を両側(cè)に下ろした。小石を拾い、「謝罪」と書いた布が飛ばないように重石とすると、にわかに?太鼓?を取り出し、靴を脫いだ。「奠」の文字に向かい、ゆっくりと跪き額ずく。數(shù)分後、座ると「太鼓」を打ちながら経を唱え始めた。南京大虐殺で亡くなった30萬人の中國人のために祈りを捧げた。この老人が自費で謝罪に來ていると聞き、多くの人が心を動かされた。「簡単にできることではない……」
巖田さんは周りに誰もいないように獨り言をつぶやいた。「日本人として、ここにこなければならなかったんだ。中國を侵略した日本軍が戦時中に行った罪を人民に詫びなければならなかった。」彼はこの二日間毎日ここに來て「絶食、謝罪」をしているという。強(qiáng)い日差しの下、30分間もこうして座っていた彼の目元に汗で流れ落ちた。巖田さんが南京に來るのは今回が3回目。2005年に初めて來たという。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」2011年5月4日