日本では毎年秋になると、大學三年生は就職活動が忙しくなり、授業に出席できなくなる。今年12月1日に就職活動が解禁されてから、大學の授業には人があまり來なくなった。普通に考えれば、企業はまもなく卒業する4年生を採用すべきなのだが、ほとんどの日本企業は他の企業に人材を奪われないよう、3年生から採用を始めている。中には2年生を採用する企業もあり、日本の大學教育に懐疑の目が向けられている?!?/p>
このような狀況の中、日本のユニクロが破天荒なアイデアを打ち出した。ユニクロの柳井正會長はこのほど、「ユニクロは大學1年生を採用する」と表明。すでに今年の4月2日に、內定を出したという。この社員は在學中は店舗でアルバイトをし、卒業と同時に正社員になる予定である。
卒業と同時に正社員になる予定だというが、4月3日に退學して正社員になったほうがいい。ユニクロの年収は300萬円(約23萬元)ぐらいなので、4年間で1200萬円(約92萬元)になる。大學の授業料は私立だと3年分で400萬円以上になるから、大學を中退して就職すれば、合計1600萬円(約123萬元)以上も得になる。一體大學に行く意味はあるのだろうか?
実は公務員にもこのような例があった。日本政府は公務員に大卒の資格を求めていなかったため、國家公務員ともなると、在學中に合格した學生は中退するのが普通だった。これは別の角度から見ると、政府が「大學四年間の教育の意義」を間接的に否定していることになる。それでは日本の高校生はなぜ受験勉強をするのだろうか?
それは大學がシグナリングの機能をもっているからだ。企業が労働者を採用するとき、誰の能力が高いかを判別することはむずかしい。面接しても誰もが「私は能力がある」とアピールするので、優劣がつけにくい。こういうとき多くの人が合格に多大な労力をかけ、點數で序列がはっきりしている入學試験があれば、卒業した大學を見るだけで學力試験をしなくてもいい。また、給與を決める際の基準にもなる。
特に日本の企業は、文科系の大學で何を勉強したかは問わず、専門とは無関係の部署に配屬して社內教育で人材を育成する。長期雇用でいろいろな仕事をさせるためには、大學の専門なんか意味がなく「コミュニケーション能力」や「バイタリティ」があればいいのだ。もちろん元気だけよくても頭が悪いと使い物にならないので、それは學歴が重要なシグナルになる?!?/p>
ユニクロの決定は「日本の大學にはシグナリング裝置としての意味はあるが、教育機関としては意味がない」と宣告しているのである。受け入れがたいと感じる人も多いだろうが、殘念ながらそれは正しいのだ。
「中國網日本語版(チャイナネット)」2012年1月25日