冼東妹選手は、柔道女子52キロ級(jí)の決勝で、北朝鮮のアン?グメ(安金愛)を破って中國(guó)選手で始めて「金メダルお母さん」になった。
勝利が決まった後、喜びを抑えきれない様子の冼東妹選手だったが、家族のことを聞かれると目に涙を浮かべ、「家に戻ったら、今まで出來なかったことをやって補(bǔ)いたい。特に娘に対してはこの1年以上そばにはいてやれなかった」と答えた。
冼東妹選手は4年前のアテネ五輪で、柔道女子52キロ級(jí)で中國(guó)初の金メダルに輝いた。その後、柔道の選手であり練習(xí)相手でもあった劉波選手と結(jié)婚し、徐々に試合にも出なくなった。広東柔道チームのコーチを務(wù)め、広州體育學(xué)院の大學(xué)院に進(jìn)んだ。そして2007年に女の子を出産した。
しかし冼東妹選手は、まだ離乳前の子どもを前に、試合に復(fù)帰することを選ぶ。それはオリンピックの金メダルを娘への贈(zèng)物にするためだった。
復(fù)帰の道はそんなに容易ではない。まず4カ月の娘の離乳をし、1カ月のうちに10キロの減量。そして2006年と2007年に世界選手権で優(yōu)勝した、自分より年下の2人の選手に勝たなければならなかった。その2人は冼東妹選手にとって大きな壁のように目の前に立ちはだかった。しかしそれより苦しかったのは、娘への思いを乗越えることだ。4カ月の娘を広東省の故郷に殘し、自分は北京でトレーニングに沒頭した。戀しい時(shí)はテレビ電話で娘と対面した。
冼東妹は選手として最も困難な6カ月を乗越え、再び金メダリストとして表彰臺(tái)に上がった。彼女が取り戻したのは、技術(shù)や體力だけではなく自信でもあった。
柔道は技術(shù)と心理の修練である。金メダルを獲得することはもちろん大事だが、33歳の母親選手にとって、メダルを手に入れることがなかったとしても、北京オリンピックは自分を表現(xiàn)する場(chǎng)だった。
「チャイナネット」2008/08/12 |