15日午後に行われた重量挙げ女子75キロ級では、黒龍江省出身の曹磊が絶対的優(yōu)位な試合運びで金メダルを獲得した。だが試合後に行われた記者會見で最後に姿を見せた曹は目を真っ赤に泣きはらし、悲痛な表情を浮かべていた。記者が涙の理由をたずねると、「母が亡くなったことをさっき知らされ、涙が止まらなくなったのです」と曹磊は答えた。「黒龍江日報」が伝えた。
曹の母親の死は同日の優(yōu)勝決定まで曹にはかくされていたという。五輪での実力発揮に影響が出ないようにとの周囲の計らいだった。もっとも曹は、家に電話をした時に父親しか出ないことを不審に感じ、「お母さんはなぜ電話に出ないのだろう」と思ったこともあるという。父親はそのたびごとに話題をかえ、曹の疑いを打ち消すしかなかった。試合後に父親は曹に真相を明かした。母の最後の言葉が「娘の金メダルまで待てなかったね」だったことを聞くと、曹の目からはとめどもなく涙があふれたという。
15日、重量挙げ女子75キロ級での優(yōu)勝が決まった後、世界記録のかかった最後のジャーク159キロにいどむ曹の様子は、その前の試技と明らかに違っていた。曹はバーベルを最後まで持ち上げることもなく試技を終えた。曹の優(yōu)勝を喜ぶ會場の歓呼をよそに、試合後のおよそ45分間を曹は泣いて過ごした。馬文輝コーチが母の死を曹に伝えたのは最後の試技の前だった。「試合には殘念な部分もありました。なかでも新記録のかかった3回目の試技は殘念です。普段の練習(xí)での成績の方が今回よりもずっと高いくらい」と曹は3回目の試技を振り返る。「注意力も散ってしまい、力を集中することができなかった。母のことばかり考えていたのです」。
曹が経験したこれほどの悲しみのなかでは、最後まで試技を続けただけでも立派だろう。このような狀況でも世界記録を更新すべきなどという苛酷な要求をする人はいないはずだ。表彰式で曹は涙をこぼした。その涙は、曹が歩んできた金メダル獲得への苦難に満ちた道と、彼女の忍耐強い魂を照らしていた。
「人民網(wǎng)日本語版」 2008年08月16日 |