オーロラを見(jiàn)ることが出來(lái)た人は一生幸せと言われるが、筆者はそのことを信じて疑わない。憧れがあり、希望があり、夢(mèng)が現(xiàn)実になれば、幸福は天の向こうまで満ちるだろう。北極の夜空で咲く光のように、あれほど遠(yuǎn)く見(jiàn)えるが、本當(dāng)はこれほど近くにあるのだ。
さぁ、共に飛び立ち、大空の花火を見(jiàn)に行こうではないか。
數(shù)人の日本人のおばあさんに會(huì)った。彼女たちは私に何かを言ったがほとんど聞き取れず、ラッキーと一言あったようだ。それで彼女たちが年越しに來(lái)たことを思い出した。エレベーターに乗るとき、彼女たちは私が重い荷物を背負(fù)っているのを見(jiàn)て、先に入らせようとした。私は後から入ろうとしたので、數(shù)秒間譲り合うようになった。
私は著用できるものをすべて著用していたが、30分また30分とマイナス數(shù)十度の海風(fēng)に吹かれると、骨身にしみる寒さを覚えた。私は気を強(qiáng)く持ちその場(chǎng)に留まり、時(shí)おり船內(nèi)に戻るだけにした。
ふと、人々が甲板の後方に集まり聲を出した。私が船尾の空に目を向けると、淡い緑色の光が浮かび上がっていた。寒気は瞬時(shí)にして跡形もなく消え去った。私は三腳を運(yùn)び前方の遮られない位置を探した。その時(shí)、1月1日の0時(shí)10分だったことを覚えている。
スカンジナビア半島で暮らすサーミ人は、深夜の空に揺れ動(dòng)くそれを、狐の尻尾と呼んでいる。この尻尾はそれから、光を遮る辺りの雲(yún)をそっと払った。緑の光は薄い煙のように空に浮かび上がり、花火が開(kāi)くようだった。