「會(huì)議が終わったら急いで帰り、林業(yè)の計(jì)畫(huà)をしなければなりません。1年の計(jì)は春にあるというでしょう」と、両大會(huì)に參加しながらも、袁妙枝代表は今まで通り村の植林作業(yè)を忘れていない。
袁代表は、河北省の壩上高原に生まれ育ち、両親も林業(yè)に攜わってきた。大學(xué)の専攻科目を選ぶ時(shí)に父親の、「林業(yè)を?qū)煿イ工欷小?lái)、壩上の植林に役立つ」という言葉で、河北林業(yè)大學(xué)の山間地帯造林學(xué)科を選んだ。1976年に卒業(yè)してから張北県大囫圇鎮(zhèn)(町)に戻って林業(yè)計(jì)畫(huà)を始め、それ以後、植林と砂漠化対策に攜わってきた。
その頃の張北県は、土地が砂漠化し水土流失も非常に深刻だった。そのため農(nóng)民は貧しくて立ち遅れていた。年間二毛作だったがが、実際に収穫できるのは1度だけ。植えつけたばかりの作物は大風(fēng)に吹き飛ばされてしまい、もう一度植え直さなければならなかった。
袁代表は、農(nóng)民のために地元にふさわしい樹(shù)を選び、植林と砂漠化対策に取り組もうと決意を固める。それから毎日、自転車(chē)に乗って村の土地の狀況や土壌のタイプを調(diào)べ、土地の測(cè)量に取り組み、樹(shù)木の栽培テストをした。
木の栽培実験は、農(nóng)民の持っている使っていない土地を借りて実験した。1982年、袁代表が張北鎮(zhèn)(町)に來(lái)たばかりの頃の樹(shù)木被覆率はわずか10%だったが、今では30%に増えた。今では、この功労者である袁代表を知らない地元の人はいない。
植林の恩恵はとても大きい。風(fēng)、砂じん、干害、冷害、雹(ヒョウ)害を防ぐことができ、さらに水、土、酸素を保つこともできる。林業(yè)の発展がなければ、多くの場(chǎng)所では土地の生産力が衰退しかねない。また植林は農(nóng)村の栽培構(gòu)造を調(diào)整し、農(nóng)民の増収にもつながる。以前は、作付面積は広いが収穫量が少なかった。しかし周りを植林すると環(huán)境が改善され、気候條件もが変わった。そして作付面積は減ったが生産量は向上した。
半生林業(yè)に攜わってきた袁さんは、樹(shù)木を目にするとホッとする。「來(lái)世もやはり植林をします。今することはとても多くて、農(nóng)民が豊かになる手助けもしなければなりません。壩上高原は今、基本的にエコ樹(shù)林です。ですから今後は徐々に経済林に切り換え、木に果実を?qū)gらせ、木の下で農(nóng)作業(yè)ができるようにしなければなりません。そして産業(yè)化を?qū)g現(xiàn)し、自分たちでリーディング企業(yè)を作り、製品を世界各地へ輸出することを目指しています」
?チャイナネット?2008年3月14日