第一に、米軍兵士は快楽を求める際、避妊用具の使用を嫌い、慰安婦たちも占領軍の暴威に抵抗することができなかったため、慰安婦と米軍兵士の性病感染率は90%を超えていた。
第二に、人権活動に熱心だったルーズベルト米國大統領夫人が、米國國內の兵士の夫人連合による抗議の聲を聞きつけ憤慨し、マッカーサー最高司令官に次のように厳しく問いただした。「私たち合衆國の若者は公然と日本の売春宿に出入りし、性病にかかっているのか。司令官としてこれを誇りに思うのか」と。
こうして、1946年1月21日に連合軍総司令部は「公然売春は民主主義の理想に背く」との理由により、日本政府にすべての慰安所の閉鎖を求めた。同月26日、日本政府は全國各地の警察に指示に従い職務を執行し、米軍兵士の慰安施設への訪問継続を謝絶するよう命じた。
日本政府は直ちに慰安婦を解散させた。合計5萬5000人にものぼった慰安婦たちは満身創痍のまま、一切補償を受けることなく放り出された。
これら慰安婦のうち、多くの者がその後も水商売に進み、米軍兵士に「パンパン」と呼ばれる者もあれば、「オンリー(特定の上級將校などと関係があった売春婦)」として囲われる者もあった。
「パンパン」の運命は「オンリー」よりも痛ましいものだった。彼女たちは米軍が通る道の両側に立ち、安物の口紅を濃く塗り肌の露出の多いスカート姿で、様々ななまめかしい表情を見せながら客引きをした。わずかな収入のために米軍兵士に精一杯盡くし、非人間的な生活を送っていた。
「オンリー」という名稱は英語の「only」を由來としていた。その運命は比較的明るいと思われていたが、米軍兵士は帰國する際、無情にも彼女たちを捨て、彼女たちとの間にできた子どもさえも顧みなかった。
半世紀が過ぎた今も、日本政府はこれら慰安婦たちに何ら補償を行っていないばかりか、大和民族の尊厳のために、こうした事実があったことも認めていない。忘卻を選択することは「優秀な」民族が栄光を保持する近道と言えるのだろうか。
?中國網日本語版(チャイナネット)? 2010年7月27日