中日関係が冷えきっていたとはいえ、政治家として隣國に悪口を言うことは、有権者、マスコミ、野黨を問わず「やり過ぎ」だと思われる。地震発生前、枝野氏は記者や野黨の槍玉に上げられていた。
しかし今となっては、そんなことに興味を持つ者はない。人々の関心は、地震?津波?原発という目前の脅威に集中している。
原発について知識を持たない政府のスポークスマンは、通常より大きな困惑と苦難に直面している。これまでものすごい剣幕でまくしたてていたマスコミも、この官房長官に同情し、彼に睡眠や休憩を取るよう促し、その後でまた盡きない質問に答えるよう勧めた。
民間では、ボランティアたちが防寒具や食料品、大人用紙オムツ(被害の大きいところにはトイレがない)を自家用車いっぱいに積み込み、被災地に向かう。殆どの道路が修復したとはいえ、ガソリンが無くなれば前へ進めず、スムーズにいかないケースも多い。
日本では、40年前にもオイルショックが起こったが、それは現在車を運転する大部分の人が経験していないことである。日本の災害救助體制はかなり整備されているものの、ガソリンがない狀態の中では、ほとんどお手上げ狀態である。
1986年、チェルノブイリ原子力発電所が起こした事故は、世界中を震撼させた。事故処理上の過ちは舊ソ連の行政體制の硬直化を反映し、民衆もそれに対し大きな不満を抱いていた。そして、その狀況は3年後の前ソ連崩壊を直接加速させる引き金となった。
福島原発事故は、日本にも同じような危機をもたらした。行政における初歩的判斷ミスや、その後の対応が鈍いことで、國全體に大きな失望と疲弊をもたらした。
未曾有の大地震は、日本の姿を変えただけでなく、それに応じた変革を日本に迫っている。新たな変革なしには、日本がこの絶望的な疲弊から抜け出すことは難しいだろう。
?中國網日本語版(チャイナネット)? 2011年4月6日