従來の「BRICs」はブラジル、ロシア、インド、中國の英語の頭文字を合わせたもので、英語で「れんが」を意味する「bric」にかけた名稱だった。後に南アフリカが參加したことで「BRICS」と表記されるようになった。
BRICsという概念は米ゴールドマン?サックスのチーフ?エコノミストであるジム?オニール氏が2001年に初めて提唱した。オニール氏は03年のレポート『Dreaming with BRICs: The Path to 2050』で、2050年までに世界経済の構造は再編され、BRICsが英國、フランス、イタリア、ドイツを含む西歐先進國を抜いて、米國、日本と共に世界の6大経済體を構成するようになると予測した。このレポートが発表されると、新興市場國のリーダーとしての中國、インド、ロシア、ブラジルへの世界の関心が高まった。
BRICs4カ國は新興経済體の代表として世界の領土面積の26%、人口の42%、GDPの14.6%、貿易額の12.8%を占め、購買力に基づく世界経済成長への貢獻率は50%を超える。これに加え、資源、市場、労働力、科學技術面でも強みを持ち、相互補完性が高い。
近年では経済的地位の向上に伴い、國際的影響力も高まり、相互間の対話?協力も強化され続けている。08年9月に世界金融危機が発生するとBRICs4カ國は頻繁に接觸。09年6月16日にはロシアで初の公式首脳會議を開き、対策を検討した。
この會議で4カ國首脳は國際金融機関改革、食糧安全保障、エネルギー安全保障、気候変動、およびBRICsの今後の対話と協力など重大な問題について意見交換し、共同聲明も発表した。胡錦濤國家主席は會議で発表した重要演説で、BRICsの次の段階の協力と発展について経済協力の深化を始めとする4つの提言を行った。
初の公式首脳會議を経て、BRICsは経済學的概念から、難局を共に克服するための実際の行動へと変化した。BRICsは異なる地域、異なる制度、異なるモデル、異なる文明が手を攜えて協力する上での模範となった。
2010年11月の20カ國?地域(G20)ソウルサミットで、南アフリカがBRICsへの參加を申し入れた。
2010年12月に中國はBRICS議長國として、南アフリカの正式參加を認めることでロシア、インド、ブラジルと合意。BRICs4カ國はBRICS5カ國へと発展した。
「人民網日本語版」2011年4月12日