中國(guó)系米國(guó)人にとって5月26日は重要な意義を持つ日だ。
同日午後2時(shí)半、米下院レイバーンビルの公聴會(huì)室は報(bào)道陣でいっぱいだった。カリフォルニア州選出のジュディー?チュー下院議員、イリノイ州選出のビガート下院議員、コロラド州選出のカウフマン下院議員は「中國(guó)人排斥法」について正式な謝罪を下院に呼びかける議案を連名で提出したと発表した。同日、カリフォルニア州選出のファインスタイン上院議員、マサチューセッツ州選出のブラウン上院議員も同様の決議案を上院に連名で提出した。09年にはカリフォルニア州議會(huì)が関連決議案を採(cǎi)択して一部の州で受け入れられたが、米國(guó)社會(huì)が中國(guó)人排斥法について連邦政府レベルで中國(guó)系米國(guó)人への謝罪を求めるのはこれが初めてだ。
決議案は長(zhǎng)年人々に軽視されてきた米國(guó)の暗黒の歴史を人々の眼前に突きつけた。中國(guó)人排斥法とは1870年から1904年の間に米議會(huì)で可決された中國(guó)系およびその子孫への一連の差別的法案を指す。その最も典型的なものが1882年可決の中國(guó)人排斥法で、中國(guó)人の移民と國(guó)籍取得を10年間停止する內(nèi)容だった。同法は後に延長(zhǎng)される度に制限が厳しくなり、しかも中國(guó)系の子孫全員に適用された。第二次世界大戦が始まって中國(guó)が米國(guó)の同盟國(guó)となったことで、同法は1943年にようやく廃止された。だが米議會(huì)はこの法律が米國(guó)の基本的な建國(guó)の原則に背くことを、これまで正式に認(rèn)めていない。
提案の中心的人物であるチュー議員は中國(guó)系の女性議員だ。チュー議員は「1世紀(jì)前に可決された差別的な中國(guó)人排斥法は、米國(guó)社會(huì)に中國(guó)系への憎しみや偏見をもたらし、さらには極端な行為に走らせすらした。法案が施行されていた間、中國(guó)系は外出時(shí)に関係文書の攜帯を義務(wù)づけられた唯一の移民であり、しばしば嫌がらせを受け、ゆえなく拘禁され、さらには殺されすらした」と述べた。チュー議員の祖父も、この差別的法案による迫害を受けた早期中國(guó)系移民の1人だ。米議會(huì)はこの「醜い法律」について、ずっと前に中國(guó)系米國(guó)人に「心から謝罪」すべきだったとチュー議員は考えている。「どれほど昔のことであっても、基本的人権に反するこうしたやり方は受け入れることができない」。提案者としてチュー議員は誇りと同時(shí)に焦りも感じている。同法の廃止から60年近くが経ち、迫害を受けた最後の中國(guó)系移民も次々に亡くなっているからだ。米議會(huì)はこの最後の機(jī)會(huì)を逃さず、まだ生きている人々にお詫びをすべきだ。