◇爆撃で障礙を負った70年
73歳の達朋芳さんは70年前に成都大爆撃を體験した。爆撃で彼女は2人のおば、従兄弟、祖母など多くの親戚を失った。當時3歳だった彼女は母が爆撃から守ろうと、彼女を背負いかごの中に隠した際、力を入れすぎて左肩の関節(jié)を骨折した。「當時の限られた條件では治療などできなかった」。その後、達さんの左肩は二度と動かなかった。それから70年--。
達さんには大爆撃の被害にあった従姉妹、蘇良秀さんがいる。蘇さんは爆撃で7人の家族を失い、自らもけがをした。達さんは「大爆撃は家族に大きな痛みをもたらした」と話す。今だに日本政府からは一度の正式な謝罪もない。「日本に謝罪してもらいにいく」--。
弁護士:
証拠整理
當時の爆撃史料や昔の地図など証拠集め
弁護団の徐斌弁護士によると、前回2回は被害者の口頭陳述が中心だったが、今回は証拠を整理し、被害者の事実を明確にするため、資料館や図書館で當時の爆撃の史料記載や昔の地図などを確認し、どの時間にどの街道で爆撃があったか、死者、負傷者などに関する証拠を集めた。また、爆撃で負傷した原告は中國と日本の病院でそれぞれ負傷狀況の鑑定を行い、けがが古いものか新しいものか、爆撃によるものかどうかを証明する必要があるという。
被害者2人のほか、聲援団が共に東京入りし、9月27日の裁判を傍聴する。
?中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)? 2011年8月16日