9月に就任したばかりの日本の野田佳彥首相が「首脳外交」の忙しい時期を迎えた。就任後に國連総會でオバマ米大統領と會談する機會はあったが、正式な國事訪問ではなかった。首相としての最初の正式訪問に関して、野田首相はあれこれ思考をめぐらしたようだ。日本で、首相が就任後にどの國を最初に訪問するかは、その政権の外交姿勢を意味する。野田首相が最初の訪問先を韓國に決めたのは、少なくとも「地政學的外交」の重要性を意識した部分があると言える。「日本新華僑報」が伝えた。
野田首相の韓國訪問の成果はどうだっただろうか。日本の「毎日新聞」は、「友好演出、成果乏しく」という見出しで次のように報じた。野田首相は韓國到著後、侵略時に持ち帰った朝鮮王朝ゆかりの図書5冊を韓國に返還し、ソウル市內にある焼肉店で特製の「どじょう汁」を食べるなどして韓國を重視する姿勢をはっきり示し、未來に向けた関係を築きたいと考えているが、韓國の國民の日本に対する関心は高くなく、日韓EPA(経済連攜協定)の交渉にも進展はない。領土問題、慰安婦賠償などの歴史問題、教科書問題などは、今も両國関係の間に橫たわる「障害物」である。
日本は価値観が同じ、経済関係において重要、朝鮮問題で協力が必要などの理由から韓國との関係を深めたいと考えているが、歴史問題が完全に解決されない限り、前に進むことはできない。「政治的決斷」のできる李明博大統領でも、これは無視できないことだ。
「項荘舞剣、意在沛公」(項荘が剣の舞をしたのは沛公を殺す意図からだ、「ねらいは別のところにある」という意味)。野田首相の韓國訪問を見てみると、別のねらいがあったことがわかる。日本の「読売新聞」は、首相と外相が一緒に訪問するのは日本の外交史上「異例」だとした。野田首相と李明博大統領は80分近くに及ぶ會談で、意識的に爭いを棚上げし、未來を模索した。「日本経済新聞」は、軍備を増強する中國に責任ある行動を取らせるため、日韓両國の団結は非常に重要だとの見解を示した。
日本の民主黨は、2009年に自民黨に代わって政権を握ってから、走馬燈のように首相を3回変えた。最初の首相となった鳩山由紀夫氏は「東アジア共同體」構想を唱え、米國を遠ざける考えを示し、中國に対して友好的な姿勢を見せた。2代目の菅直人氏は內部闘爭に忙しく、外交を行う暇がなかった。そのうえ、庶民出身であったため外交処理の経験がなく、昨年9月に発生した中日間の漁船衝突事故で不適切な対応を行い、中日関係の発展に大きな影響を及ぼした。軍人一家出身の3代目の野田首相は特殊な「安全保障観」を持ち、中國を敵対視する姿勢を示している。ここから、日本の民主黨の外交戦略には一貫性がなく、偽物と本物の混ざった政権だと言える。このような狀況の中、中國がどのように大局観を守り、日本の少數の政治家の言動に影響されずに日本の「先を爭って次々に登場する」様子を冷靜に見ていられるかが非常に重要となる。
?中國網日本語版(チャイナネット)? 2011年10月24日