文=中國人民抗日戦爭記念館 李宗遠副館長
資料寫真:中日共同歴史研究委員會第1回會議
中日共同歴史研究に參加する2人の著名な日本人學者を接待した。二人は中國人民抗日戦爭記念館を見て回った後、日本が中國を侵略した寫真を展示する際、できるだけ血なまぐさい場面の寫真を少なくし、中國の參観者、特に青少年にあまり刺激を與えないようにしてほしいと要請した。言下には、愛國主義教育基地を「反日」教育基地にしないでほしいとの意が込められていた。こうした言葉が日本政府やメディアから出ても不思議ではないが、歴史研究に攜わる日本人學者の口からこうした言葉を初めて耳にして驚いた。
日本人學者が中國の抗戦関連記念館の歴史展示と歴史教育に対して懸念を示したのは近年の事だ。こうした言葉が出るのは次の4つの原因がある。
(1)日本のメディア或いは政府関係者が中國の歴史教育の世論環境を非難するためだ。中國の抗日関連記念館は「反日」教育基地だという言論は05年に日本のメディアで集中的に出てきた。こうした聲ややり方は一般の日本國民、さらには歴史學者を誤った方向に導いている。
(2)長期的に中國侵略の歴史の罪を否定?隠す社會環境があるためだ。筆者は日本に訪問するたびに書店を見て回るが、日本の右翼勢力が出版する著作が歴史書の大部分を占め、正確な歴史認識をしている書籍は非常に少ない。ここ數年、右翼勢力が編集した教科書の使用範囲が拡大しており、右翼勢力の歴史観が日本で徐々に正確な歴史観として蠶食しつつある。こうした社會環境が日本の學界を含め社會各界に影響している。
(3)日本の戦爭被害者としての意識。日本の戦爭関連記念館の歴史観は3分割できる。1つ目に戦爭被害者としての歴史観。広島?長崎の「原爆」をテーマにした2つの記念館を代表とし、戦爭加害者が戦爭被害者に粉飾している。この歴史観が日本の主流で、大多數の日本人に影響している。2つ目に「侵略戦爭は理にかなっている」と吹聴する歴史観で、靖國神社の遊就館や日本各地の戦爭遺跡がその代表だ。3つ目に戦爭加害者としての歴史観。沖縄平和記念館がその代表で、日本の侵略戦爭がアジア各國にいかに災難をもたらしたかを正しく反映し、侵略戦爭の罪を反省している。ただこうした記念館は日本では極めて少なくその影響も微々たるものにすぎない。