第2に、中國の臺頭について、中國の歴史?文化の大きな背景の下で考えていない。中國人のミーム(文化的遺伝子)と歴史的伝統を軽視し、ひたすら自國の不名譽な侵略?拡張の歴史に照らして中國を推量するのでは、中華文化が誠実な平和の文化であることを信じることも、睦まじさを追求する中華民族の精神的特質を理解することもできない。平和の追求は中華民族の數千年の文明の歴史に刻み込まれ、改革開放から30年余りの平和的発展に具現化されている。
大國間の対立と衝突という時代後れの論理を打破する責任を全て中國に押し付けることの害も一目瞭然だ。この種の論調は、急速に臺頭する中國を世界の大多數の國と対立する側に置くことで、中國の発展を阻止し、抑え込む同盟へ人々を誘導しようと懸命で、圧力をはねのける中國の能力を獨りよがりに過小評価している。世界の転変を経験し盡くした中華民族が復興の道を歩むことに道義的な負い目はなく、現実的にも誤っていない。中國がこのために思い上がり、橫柄になることはないし、自らの核心的利益を守る際におじけづくこともない。
急速に臺頭する中國が國際社會で演じる役割は、すでにそうであるように、今後相當長期間にわたり、重要性を増していく。中國は平和的発展路線を歩む決意を確固たるものにすると同時に、「時代後れの歴史の論理を打破するのは中國だけの責任ではない」ということを人々に指摘する必要がある。
國際構造の調整、時代の潮流に沿った國際秩序の形成は、昔からいずれも國際関係の行為主體、特に大國間の相互作用の結果であったのだ。
「人民網日本語版」2012年5月15日