中國は新たな10年間を迎えようとしている。この10年間は未曾有のチャンスと試練を秘めている。(文:賈秀東?中國國際問題研究所特別招聘研究員。人民日報海外版コラム「望海樓」掲載)
歴史の大河の中では10年間は一瞬だ。この「歴史の一瞬」の中で、個人の成長過程にも國家の発展過程にも激変や巨大な変化が生じうる。中國と世界の経験してきた1つ1つの「瞬間」を振り返ると、常に「滄海変じて桑田となる」の感がある。
「歴史の一瞬」の中で、いかなる國や個人も、およそ追い求めるものがあれば、様々なチャンスや試練に直面することになる。いかに把握し、対処するかの選択が非常に大切だ。選択が異なれば結(jié)果は異なり、雲(yún)泥の差にさえなる。
21世紀(jì)の最初の「歴史の一瞬」の中で、中國は新たな飛躍的進歩を遂げ、世界との連攜もかつてない程に緊密化した。「世界が注目」との表現(xiàn)を使っても少しも大げさではない。この進歩は容易に得られたものではない。未曾有の歴史的チャンスを捉え、未曾有の國內(nèi)外の重大な試練の數(shù)々に打ち勝つことで得られたものだ。一言で言うと、21世紀(jì)の最初の10年間という國家発展の重要な戦略的チャンス期に対するわが國の判斷は正しく、好機を逸することなどなかったのだ。
次の「歴史の一瞬」に、わが國の発展が直面するチャンスと試練も「未曾有」という表現(xiàn)を要する。2つの「未曾有」は日常生活にも具體的に現(xiàn)れる。われわれは常に次のような疑問にぶつかる。「數(shù)十年間の急速な発展を経て中國は強大化し、多くの國際問題は自ずと解決できるように見える。それなのに中國が多くの國際的なもめ事、さらには公然たる挑発に出くわしているように感じるのはなぜか?」「中國は明らかに謙虛な姿勢で各國と付き合い、紛爭に直面しても相手の出方を見てから制することを選ぶのがしばしばなのに、それでもなお一部の國際世論に『高圧的』『実に挑戦的』と歪曲される。まさか中國は弱くても強くても怒鳴られるのか?」。