文?寫真=沈暁寧
白巖松代表
私は、この100年、「中國の夢」は徐々に変化を遂げていると思っている。100年前の「中國の夢」は、國家の獨立?自主、富國強兵といったもので、國家の夢がすべてであった。アヘン戦爭以降の中國は、あまりにも悲慘であったからだ。多くの人が個人的利益を犠牲にして、國家の大きな夢を?qū)g現(xiàn)すべく、すべてをささげてきた。
現(xiàn)在、中國は長年の努力を経て、とくに30年余りの改革開放を経て、100年前の國家の大きな夢に、少なくとも數(shù)字の上では実現(xiàn)に近づいていると思われる。例えばGDPは世界第2位になったこととか。國家の夢の実現(xiàn)がはっきりと見えてきており、國家がより強くより豊かになり、自らの道を歩むようになるにつれ、中國の夢の內(nèi)容にひそかな変化が起こり始めた。國から家へとその重點が移り、「國」が得た利益をどのように人々に分け與えるかということに変わってきたのだ。だから私は、「中國の夢」という言葉が含むトータルの範囲は、単に一つの國家の夢ということではなく、國家が強く豊かになった後、人々にどのようにそれを分配するかという歴史的過程であると思っている。これが私の個人的な「中國の夢」に関する理解である。
個人の夢については、まず、將來自分の一生を振り返る際に、報道という仕事に就いたことを価値あるものだったと感じられればということである。社會は少しずつ進歩しており、さらに多くの若者が報道という世界に入ってくれることを望んでいる。子どもたちの時代になれば、歴史的なしがらみもなく、さらに自由で楽しく幸せな心を味わうことができるだろう。次に、自分が健康で、常に穏やかな心でいられることである。今は周囲の環(huán)境の影響もあり、とくに報道関係者として、穏やかな心でいられることは難しい。また、もう一つの夢は、今は良き中年男になり、今後、良きおじいちゃんとなることである。
?人民中國インターネット版?より 2013年3月8日