米國が安保理を回避してイラク戦爭を発動したのは國連憲章違反だ。當時のアナン國連事務総長は「この戦爭は不法なものだ」と鋭く指摘した。10年が過ぎてイラク戦爭を振り返ると、少なくとも3つの啓示が得られる。
第1に、歴史の潮流に逆らうことはできない。1月28日、習近平総書記は政治局の集団學習で「世界の歴史を見渡すと、武力による対外侵略?拡張は最終的にはみな失敗している」と指摘。さらに「世界の潮流は蕩々たるもので、これに従えば栄え、逆らえば亡びる」との孫文氏の名言を引用した。米國がイラク戦爭を発動して散々な目に遭ったのは、まさに時代の潮流に逆らった結果だ。平和と発展が強大な時代の潮流となっている時に、戦爭の旗を掲げた米國が重い代償を支払うのは必然だ。
第2に、有頂天になって判斷がにぶることは指導者にとって大きなタブーだ。2003年當時の米國の指導者を振り返ると、有頂天になって判斷がにぶったために獨斷専行に走ったのは極めて明らかだ。當時米國の國內総生産(GDP)は10兆9000億ドルで世界全體の30%を占めていた。米國の指導者はやりたい放題の事をしていいと考えて、無法にもイラク戦爭を発動した結果、散々な目に遭ったのだ。
第3に、民意は変化するものだし、民意に対しては責任を追及するすべがない。イラク戦爭発動時、米國民の支持率は3分の2にも達した。當時イラク戦爭発動に反対したフランスに米國民は強く不満を抱き、抗議のためにフランス産ワインを川に流し捨てたり、フライドポテトの英語「French Fry」を「Freedom Fry」に変えさえした。その10年後、米國ではイラク戦爭を批判し、反対する聲が多數を占めるようになった。
こうした事実はポピュリストに対する痛打の警告だ。ポピュリストは常に民意を切り札とし、自分たちの主張は民意と合致し、民衆を代表していると考える。當時米大統領と英首相は民意を旗印にイラク戦爭を発動した。10年が過ぎた。當時の民意は全く彼らを助けてはくれない。今日、西側の主流メディアは詐欺罪や戦爭犯罪を犯したとして彼らを厳しく批判している。
歴史は公正であり、冷酷でもある。歴史の教訓は汲み取るべきだ。
「人民網日本語版」2013年3月21日