昨日のネット上の拍手には、國(guó)家エネルギー局が當(dāng)初の聲明が「官製デマ」となったことへの嘲笑も多く混じっていた。だが実際には、政府は世論を受けて劉氏を調(diào)査したわけではない。楊達(dá)才や李蕓卿たちも雷政富も取り調(diào)べられ、処分され、今や劉鉄男も失腳した。これらは微博の勝利ではあるが、結(jié)局はいずれも「體制の実績(jī)」をはっきりと示すものだ。
中國(guó)社會(huì)の調(diào)和の方式は微妙な変化を呈している。微博による監(jiān)督と反腐敗はいくつかの問題、さらには「內(nèi)幕」を暴いたが、一定の「対抗性」も示した。「建設(shè)性」を奨勵(lì)すると同時(shí)に、こうした「対抗性」も包み込む。これが中國(guó)社會(huì)の調(diào)和がインターネット時(shí)代において高度化を?qū)g現(xiàn)するうえで1つの鍵となる方向だ。
喩えるなら、中國(guó)にとってインターネットは非常に有能で活発だが、心配をぬぐえない子どものようなものだ。インターネットは従來の暗黙のルールを拒絶し、あるいはルールを守らないが、別の道を切り開き、俗世的なやり方で國(guó)家の長(zhǎng)期的難題に觸れることができる。同時(shí)に多くの問題も引き起こしたが、こうした問題自體は國(guó)家の柔軟性のようにも見える。
1つの重要な要素は、中國(guó)にはたゆまず前進(jìn)する強(qiáng)大な內(nèi)在的原動(dòng)力があるということだ。インターネット上の「他とは異なる」行動(dòng)に対して、政府を含む社會(huì)の姿勢(shì)は総じてそのプラスの影響を受け入れるというものだ。これがインターネットが中國(guó)で特殊な役割を発揮した根本的原因だ。
政府はインターネットに対して管理を行なっている、その設(shè)計(jì)の方向はいずれも「水路」であり「水門」ではない。事実によって検証されているように、中國(guó)においてインターネットは意見を表明する最も開かれた、最も多元的で、最も先鋭な世論の場(chǎng)であると同時(shí)に、中國(guó)で最も活力と成長(zhǎng)の勢(shì)いがある経済分野の1つである。ここ數(shù)年の中國(guó)においてインターネットは経済および意見表明分野の「抜きん出た勝者」である。
羅氏の劉鉄男に対する「戦勝」はインターネットを通じて実現(xiàn)したものだ。これは中國(guó)の世論の場(chǎng)の「権力の重心」が一段とインターネットへとシフトすることを告げている。中國(guó)のインターネットは世界において自國(guó)の世論に対して最大の影響力を持つインターネットの1つであり、この趨勢(shì)は引き続き強(qiáng)まっていく。感慨無量の現(xiàn)実である。
「人民網(wǎng)日本語版」2013年5月14日