中國外交の発する聲に最近、新風が吹いている。外交部(外務省)と國務院臺灣事務弁公室はフィリピンが臺灣漁師を射殺した「野蠻な行為」を激しく非難した。王毅外交部長(外相)は朝鮮半島問題について「中國の玄関先で騒ぎを起こすことはどの國であろうと認めない」と警告した。崔天凱駐米大使は米國に「日本の肩を持って自らを傷つけるな」と公に警告した。中國の外交スタイルは一貫して表に出さない控えめなものだったが、中國外交の発する聲が最近日増しに明晰かつ力強いものになっていること、特に核心的利益に関わる問題で気概と底力があることにウォッチャーは気づいている。(文:田文林?本紙特約論説員、中國現代國際関係研究院副研究員。人民日報海外版コラム「望海樓」掲載)
こうした気概と底力はどこから來るのか?これはまず國力の強大化のたまものである。いかなる時代であれ、外交には拠り所となるものが必要だ。強大な國力、特に強大な軍事力の後ろ盾がなくては、聲を発しても気概を持ち得ないし、気概を持ったとしても誰からも相手にされない。かつて英國が世界の外交舞臺で數百年にわたり縦橫無礙であったのは、武力の維持という基本的かつ重要な支えがあったからだ。米國が世界の他の國々をあごで使っているのも、同様に天下無雙の軍事的覇権という拠り所があるからだ。中國は「強大化すれば必ず覇権を唱える」というかつての歐米の覆轍は踏まない。だが現在中國外交が気概を持つことができるようになり、しかも発言の重みが増している前提條件が軍事力を含む総合國力の増強であることに疑いの余地はない。
より重要なのは、中國外交の気概と底力は合法的権益を守るという中國のほとばしるような正義性と巨大な精神的エネルギーから來ているということだ。中國外交はかねてより「武力萬能論」ではないし、歐米が數百年來熱を上げてきた権力政治でもない。ひたすら力に頼って発言すれば、自覚しようとしまいと、強さを頼みに弱國を虐げる覇権主義の古い道を歩むことになる。大量の事実が証明しているように、覇権主義を弄する國は、多くの國々に指弾され、衰退する悲劇に陥ることになる。このため中國は1950年代に初めて平和共存五原則を打ち出し、かつ一貫して実踐してきた。