私は日本の熊本県出身です。父の武藤秋一は第2次大戦中、日本の第6師団の兵士でした。父の従軍日記は現(xiàn)在、韓國(guó)の戦爭(zhēng)と女性の人権博物館にあります。私は高校時(shí)代から次第に父の従軍経験への疑問(wèn)を募らせ、あの戦爭(zhēng)の本質(zhì)が一體何だったのかを、はっきりと知るようにもなりました。あの戦爭(zhēng)は、誰(shuí)が見(jiàn)ても侵略戦爭(zhēng)だったのです。(文:田中信幸、日本の平和活動(dòng)家)
私は戦爭(zhēng)の真相が知りたいし、歴史の事実を知る責(zé)任もあります。私は手紙のやりとりを通して、父に自分の決意を伝えました。長(zhǎng)いやりとりを通じて、父は私に心の扉を開(kāi)きました。農(nóng)家に生れた父は徴兵されて、「天皇陛下の赤子」となりました……
1990年代、父は長(zhǎng)年秘蔵していた従軍日記を私に渡しました。1938年から1946年までに父が受け取った300通余りの手紙もありました。
日本軍は南京占領(lǐng)後、この世のものとは思われないほど殘酷な大虐殺を始め、日本兵は現(xiàn)地の女性を公然と強(qiáng)姦しました。これは國(guó)際世論を騒然とさせ、強(qiáng)い反感を買いました。日本軍當(dāng)局は軍內(nèi)の性病蔓延を恐れて慰安所の大規(guī)模な設(shè)立を始め、慰安婦の招集を急ぎました。1938年、最初の日本軍慰安所が上海に完成しました。