偶然から生まれたプーアル茶
|
普ジ市のプーアル茶交易市場 |
プーアル茶という名の由來には、次のような伝説がある。
清代の乾隆年間(1736~1795年)、繁栄していた普ジ城に、濮という姓の大茶商がいた。先祖代々、茶の生産と販売を生業とし、毎年、朝廷に茶を獻上していた。
|
民族村では、少數民族のさまざまな喫茶習慣を體験できる |
ある年のこと。茶を獻上する時期が、若旦那が嫁を迎え入れる時期と重なってしまった。朝廷の命令に逆らうことはできない。若旦那は家族や婚約者に別れを告げ、普ジ府の役人と一緒に上京した。道中、うつうつとして楽しめず、春雨がしとしとと降るなか、歩みを進めた。
気分が乗らなかった若旦那は、茶が雨にぬれないよう気をつけなかった。そのため、クマザサの葉っぱに包まれた茶は濕ってしまい、數カ月後、都に到著してから取り出してみると、すっかり色が変わっていた。長い道中、雨にぬれたうえに高い溫度の中で蒸され、発酵を始めていたのだ。
|
ワ族の「焼茶」を実演する「博覧苑」のスタッフ |
ところが、この発酵は意外な変化をもたらした。茶湯の色は濃い赤で明るく、味は苦さの中にも甘さがある。これを飲んだ乾隆帝はたいそう喜び、この茶に「プーアル茶」という名を賜った。
この話の真偽のほどは分からないが、茶の専門家たちによると、時間が経ったプーアル茶、特に生茶は発酵後、健康維持に欠かせないさまざまな成分が生じ、保健効果が高い。そこで、プーアル茶は古ければ古いほど値段が上がり、収蔵価値も高くなるという。