「トヨタ事件」は発端に過ぎない
今回の「トヨタ事件」の勃発はアメリカ政治の保守派に、「製品品質(zhì)」という日本攻撃の新たな材料を與えることになった。伝統(tǒng)的に、品質(zhì)は日本製品の標(biāo)榜であり誇りであった。「メイドインジャパン」が優(yōu)良製品の代名詞として認(rèn)知されていた時(shí)代さえあったのに、いまやこのトヨタ事件によってすべてが臺(tái)無しである。アメリカの政治家によるバッシングは、日本製品がやっとのことで獲得した國際的信用を損なっただけでなく、研鑽に研鑽を重ねるという日本人の民族精神をも傷つけた。よって「トヨタ事件」の損失は、トヨタなど日本自動(dòng)車會(huì)社の帳簿上の數(shù)字のみで計(jì)算できるものではない。逆にアメリカの利益も、GM?フォード?キャデラックといった自動(dòng)車會(huì)社の將來的収益や政治家たちの単純な増収のみに留まらない。言い換えれば、アメリカは政治という武器をもって、日本を再度打ち負(fù)かすとともに経済的な利益を奪回し、自らの民族精神を再び奮い立たせたのである。
そもそも「トヨタ事件」への政治行動(dòng)の激化について、トヨタ製品の品質(zhì)問題のみにその原因を見いだすことはできない。トヨタという企業(yè)が無能であって、アメリカ政府とその議會(huì)を説きつけることができないという観點(diǎn)も適切ではない。何人ものアメリカ政界関係者がトヨタを弁護(hù)する動(dòng)きを見せたが、最終的解決にまでは至っていない。根本的要因を探すならば、アメリカの伝統(tǒng)的政治體制と利益至上の社會(huì)精神が、今回の「トヨタ事件」を激化させた黒幕なのだと言える。
加えて、2010年はアメリカ議會(huì)の中間選挙の年である。議會(huì)議員は誰ひとりとして、政治的優(yōu)位に立つ機(jī)會(huì)を見逃そうとしないだろう。「トヨタ事件」の勃発は、政治家が実力を発揮する格好の舞臺(tái)を提供することになった。つまり、いわゆる「政治屋」たちはトヨタへの攻撃や中傷を通して、アメリカ合衆(zhòng)國の利益を守る「決心と戦闘力」を自國の有権者に伝えようとしているのである。
総じて言えば、日米間の様々な摩擦の激化が、この「トヨタ事件」に油を注ぐ役目を果たしているのであり、アメリカも決して自身の利益を守るために、これを政治的問題にまで拡大したのではない。この事件は単なる発端に過ぎず、このさき日米間において更なる興味深い政治合戦が繰り広げられることは間違いない。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」 2010年3月24日