中國(guó)が改革開放の段階に入ったのは32年前。その當(dāng)時(shí)の大きな問題は、いかに改革し開放するかだった。當(dāng)時(shí)の指導(dǎo)者だった鄧小平氏は、中國(guó)の改革と発展を推し進(jìn)めるためには、國(guó)際資源と國(guó)際経験が必要だということをはっきりと分かっていた。そして一定の地理的條件を備えた場(chǎng)所からテストが実施されることになり、南海に臨む小さな漁村の深センが、幸運(yùn)にも初めてのテスト地に選ばれた。
特區(qū)というのは、海外資本が流れ込むだけでなく、主には國(guó)際社會(huì)の成熟した経験や方法を持って來て、國(guó)際社會(huì)の様々なミクロ経済の運(yùn)行制度をマッチングさせ、この制度によって経済成長(zhǎng)するというものだ。たとえば給料は作業(yè)量や出來高制で、その基準(zhǔn)を超えた場(chǎng)合にはボーナスが出る(中國(guó)では當(dāng)時(shí)、數(shù)十年ものあいだボーナスという考えはなかった)。
またマクロ的な制度では、外向型経済の為替政策や稅収政策、國(guó)有資本と市場(chǎng)経済をつなぐ政策などが打ち出された。こうして特區(qū)はいまだかつてない活力にあふれ、當(dāng)時(shí)、「3日でビル一棟」と人々が褒め稱えた深センの速度は、まさにそのいい例だろう。
政治上の肯定を得て、発展の利益を味わった深センを見た他の地域は、相次いで開放を望んだ。1984年から全國(guó)には、経済特區(qū)、沿海開放都市、沿海経済開放區(qū)、沿江と內(nèi)陸開放都市、境界開放都市など、様々な形やレベルでの全面的な開放という新しい形態(tài)が形成されていくことになる。
具體的には、特區(qū)設(shè)置30年は以下の6つの面から評(píng)価できる。