中日両國は漢字を使っているので、よほどニュアンスとか、感覚的色彩に気を使わないととんでもない誤解を生じかねない。
中央編訳局のようなセクションは正確な訳が求められるが、その他の場合、いっそのこと原文を素材とみなして日本語で書いた方がよい場合もある。今回、參加者のほとんどが現(xiàn)在の日本語らしい表現(xiàn)を理想像としてもっていることを知って、私は胸をなでおろした。
中日友好協(xié)會そのものはメディアではないが、この団體は日本の諸団體、議員、企業(yè)家、各友好都市の一般市民とつねに觸れ合う機會があり、ある意味では、日本を一番よく知る狀況にあると言っても過言ではない。私もこの協(xié)會の理事としていろいろ勉強させてもらっているが、正直に言って、単にメディアに閉じこもっているより幅広いことに接することができるのではないかと思っている。そういう意味で、この會合に中日友好協(xié)會の幹部を出席させていることはまったく正解であると思っている。
中國も日本もインターネットの時代に入っており、もう古い意味でのコミュニケーションでは時代の動きについて行けなくなっている。今や中國でも日本にひけをとらないほどの國産アニメが出回っているし、形そのものはいくらか違ってもAKIBA48のような歌手のグループも現(xiàn)れている。ヒップホップの文化も若者の間でははやっている。コスプレ文化のようなものも若者の間で人気がある。こういうグロバリセーションの時代にあって、対外メディアはどうイノベーションしていくべきか、今回のシンポジウムは中國語、日本語の対訳のテクニックのみにとどまることではなく、さらに大きな、広い問いかけを參加者すべてに投げかけたのではないかと思う。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」 2011年7月11日