萊蕪市は春秋時(shí)代(前700-前476)の「長(zhǎng)勺の戦い」の戦場(chǎng)であり、「一鼓作気」(一気に最後まで戦いぬくこと)という物語(yǔ)が伝わっている。士気を奮い立たせる「長(zhǎng)勺の陣太鼓」は萊蕪市官?gòu)S村の太鼓工場(chǎng)で作られたものである。2008年、村委員會(huì)は長(zhǎng)勺陣太鼓の優(yōu)れた伝統(tǒng)を継承し、文化で村を興すことを決定した。村は前後して20數(shù)萬(wàn)元を投下して太鼓楽器を購(gòu)入し、120人からなる太鼓楽団をつくり、また仁和文化伝播有限會(huì)社を登録、創(chuàng)立した。
2009年10月、太鼓楽団は第11回全國(guó)體育大會(huì)の開(kāi)幕式で大いに異彩を放ち、勢(shì)いに満ちた陣太鼓に対して視聴者たちは深い感銘を覚え、それ以後大評(píng)判となり、多くの省市はそれを知って太鼓楽団を自分のところへ公演に來(lái)るよう招いた。
萊蕪市の官?gòu)S村は長(zhǎng)勺陣太鼓という文化ブランドを利用して経済の発展を促し、文化の面で創(chuàng)業(yè)を行うことのすばらしさを知った。太鼓楽団の責(zé)任者である萊蕪官?gòu)S村委員會(huì)副主任の亓瑞栄さんは、「この數(shù)年、太鼓楽団はずっと収益があり、一番よい年は2009年で、60萬(wàn)元も儲(chǔ)けました。今年は30萬(wàn)元ぐらいを儲(chǔ)けることは問(wèn)題なしと言えましょう」と語(yǔ)っている。
太鼓楽団の中で、村民たちは収入を得るばかりでなく、また精神的満足を得ることができる。先般、太鼓楽団は青島で公演に參加し、公演の後、多くの青島市民が次から次にサインや記念寫(xiě)真を撮ることを求め、団員たちはスターになったように誇りを感じた。
亓瑞栄さんは、「これからは、私達(dá)は長(zhǎng)勺陣太鼓に中國(guó)から世界に進(jìn)出させるつもりです!全力で私達(dá)の村を『中國(guó)の陣太鼓の古里』に作り上げなければなりません」と語(yǔ)った。
「中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)」 2011年12月26日