文化の交流もさかんで、中國大陸部からいろいろな公演団體が赴いているし、臺灣のアーチストなどはもう30年前から中國大陸部の舞臺に姿を現わしている。歌手ばかりでなく、最近はマジシャンも有名で、ファンも多い。
香港のフェニックス?テレビによると、臺灣の退役將官たちが廈門(アモイ)で大陸側とゴルフ大會を催したことを伝えている。また、前世紀50年代初期に外國の指図で大陸部に偵察に來て撃墜されて、死亡した人の遺骨の引き渡しも行われたということである。要するに、経済文化ばかりか、いろいろな面の往來もあるということである。よく言われているように、まず易しいものから入って、だんだんと難しいものへ、というやり方なのである。
いわゆる「臺獨」についても、もともとほとんどが大陸部の福建省南部から移住した人たちの子孫で、父祖の地を切り捨てるという冷酷さ、外國に媚びを売り、その手先になり下がることがうまくいかないのは火を見るより明らかだ。しかし、少數だが、臺灣同胞を人質にしてこの道を突っ走ろうとしている人もいることも確かだ。前世紀40年代にも汪精衛という人物がいたではないか。中國人民はこのような連中を決して許すことはない。