ソフトウェアを戦略資源として扱った外交が失敗する要因について、僕が問題として考えているのは、外交を擔(dān)當(dāng)する國家政府と、ソフトウェア資源を扱う社會セクターが異なることです。
伝統(tǒng)的な戦略資源としての「天然資源≒ハードウェア資源」であれば、ある程度の國家的法規(guī)制(輸出規(guī)制も含む)、國営企業(yè)によるコントロール、外資參入規(guī)制などなどで「國外流出」を防ぐことができます。つまり、ここでは國家?政府が外交も、天然資源も政策をリンクして計算導(dǎo)出することができるわけです。
一方で、「ソフトウェア資源」については、民間企業(yè)から発生した純民間資本もの(例:中小企業(yè)それぞれの技術(shù)特許など)、草の根レベルで発生した文化的なもの(アニメ等の文化も含まれる)、知識レベルでの社會インフラ(Knowledge diffusionされたSocial capitalのようなもの)も多く、國家が統(tǒng)一的に管理するというよりも、國家內(nèi)に分散しているからこその価値をもっているものも含まれてしまします。よって、國家?政府は外交を計算しますが、民間の総和?相乗価値としての「ソフトウェア資源」は國家がコントロールすることは難しい可能性が高いわけです。
よって、コンピューター戦國ゲームでいえば、日本というプレーヤーは、上級者玄人向けモード、高難易度モードでのプレイのようなもので、「ソフトウェア資源」にバーゲニングパワーを依拠するために戦略資源としての力が未知數(shù)という狀況ですね。さらに、日本の政治體制は、內(nèi)政も安定しにくい狀況が常に発生しますから(今回の外交問題も政爭の種になっている狀況です。)、外に高不確実、內(nèi)に高不確実、という超上級者向けモードかもしれません。
超上級者モードには、凄腕のプレーヤーが必要なわけですが、果たして今の日本はどうでしょうか?
(中川幸司 アジア経営戦略研究所上席コンサルティング研究員)
?中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)? 2010年10月8日