松下「良き経営者は孫悟空のように神通を広げなければなりません」
鄧小平「中國の近代化建設では孫悟空が不足しているのです」
支援の約束を早急に実現するため、1979年6月、松下幸之助は中國を訪問した。
寫真:鄧小平は1979年6月29日、松下電器産業の最高顧問である松下幸之助一行と會見した。
新中國建國後、初めて中國を訪れた世界クラスの企業家だったことから、松下幸之助は國賓級の待遇を受けた。民間の企業家がこうした破格の待遇を受けるのは、過去例のなかったことである。
松下幸之助は北京に著いたその日、京劇「孫悟空大閙天宮(孫悟空、天宮を大いに騒がす)」の鑑賞に招待された。
數日後、鄧小平との會談で「一昨日、『孫悟空大閙天宮』を鑑賞しました。孫悟空の神通は広大でした。経営管理者も孫悟空のように神通を広げていくことこそが大切です」と語った。
鄧小平は答えた。「中國の近代化建設では孫悟空が不足しているのです」
松下電器産業はその後、「孫悟空」を打ち出そうと中國の支援に乗り出す。松下幸之助の訪中期間中、中國政府と「技術協力第一號」協定が結ばれ、上海電球工場にモノクロブラウン管プラントが提供されることになった。同工場は工場建設を前に、日本の松下電器産業に社員を研修と視察のため派遣した。その多くが近代化建設の「孫悟空」となり、全國人民代表大會常務委員會の呉邦國もそのうちの一人である。呉邦國は第2次松下視察団の責任者を務めた。
2003年、呉邦國は松下電器産業を訪問した際、研修した當時の寫真を目にして、「かつて住んでいたところをまた來ることができ、感無量です」と語った。
鄧小平は松下幸之助と會見した際、さらに改革開放や外國との技術協力などの問題について意見を求めた。
當時、接待擔當を務め、現在は中日友好協力協會副會長の座にある陳永昌は、「松下幸之助は自らの考えを非常に真剣に述べた。大企業のトップとして、中國の改革開放では內外の中小企業との交流をおろそかにしてはならないと提言した」と振り返る。
鄧小平は松下幸之助の真摯な姿勢に心打たれ、「大企業として、あなたのような意見は、まったく初めのことです」
松下幸之助は「中國の電子工業の近代化を必ず支援していく決心です」と述べるとともに、日本電気などと共同で、電子工業化の急速な発展を支援していく構想を提起した。
松下幸之助が帰國する前に、鄧小平は再度會見し、この問題について協議した。
(文中敬稱略)
「チャイナネット」2008年11月4日