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孫文の革命を支援した日本人、梅屋莊吉 |
発信時間: 2008-11-11 | チャイナネット |
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孫文と宋慶齢が日本で革命活動に取り組んでいた時に殘した貴重な文化財の一部がこのほど、梅屋家の個人所蔵館から中國に返還され、上海孫中山故居で初公開された。「中國新聞社」が伝えた。 この文化財は孫文と固い友情を結んだ梅屋莊吉の子孫が所蔵していたもので、この半世紀余り梅屋莊吉本人の遺言に照らし、梅屋家と小坂家がきちんと秘蔵していた。70年代頃には文化財が公開され始め、そのうちの一部が東京の有名な松本樓に陳列された。今年5月には中國の胡錦濤國家主席も日本訪問當夜に松本樓の招きを受け、文化財と史料を観賞した。 今回梅屋莊吉のひ孫の小坂文乃さんが自ら上海に攜えてきた文化財には▽孫文と出會ったいきさつが詳細に書き込まれている梅屋莊吉の日記▽中華民國が日本の友人、梅屋莊吉を「中華革命軍東北軍武器輸入委員」に任命した委任狀▽孫文と宋慶齢が日本で結婚し上海に戻った後に宋慶齢が梅屋夫人宛てに書いた英字の手紙――などが含まれている。なかでも、孫文が「賢母」と記した梅屋莊吉の著物(複製品)に注目が集まる。 小坂文乃さんはメディアに対し、これらの文化財は今回初めて「一家の密室」を出て曽祖父がかつて訪れた上海に來た。この意義は非常に大きいと語った。孫文と梅屋莊吉の革命における友情は、中日民間の友好往來の貴重な記憶だ。 専門家によると、1895年に孫文は恩師?康徳黎の紹介で梅屋莊吉と知り合った。梅屋は孫文に敬服し、後に革命の経済的支援に力を注ぐようになる。梅屋莊吉は辛亥革命を支持するため10億円以上の支援を提供し、自らの借金がふくらんだとされる。當時、孫文と宋慶齢の結婚式も梅屋の邸宅で行われた。梅屋家はこの他にも孫文夫妻の手紙や寫真など數多くの文化財を保管している。また、宋慶齢が當時梅屋家で演奏したピアノも東京の松本樓の人目を引く場所に陳列してある。 「人民網日本語版」2008年11月11日 |
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