中國と他國の友情を伝える國の贈り物として、重要な役割を果たしているパンダ。歴史をさかのぼってみると、唐の女帝?則天武后(624~705)は685年に、2頭のパンダを日本の天武天皇に贈っていたことが分かった。これは中國では史上初めてのパンダ贈呈だ。日本の『日本書紀(jì)』にも同じような記載があり、パンダは特別な使者として、隣國に中國國民の友情を伝えていた。
一衣帯水の中日両國は、漢時代からすでに親密に往來しており、経済や政治、文化などがかつてなく繁栄した唐時代の630年(唐の貞観4年)、日本は大使や副使、留學(xué)生、學(xué)問僧、通訳など初の遣唐使を派遣し、中國の各分野を研究して中國に友好の情誼を表した。そして律令制度や學(xué)術(shù)文化、科學(xué)技術(shù)、宗教や信仰、風(fēng)俗習(xí)慣などが次々と日本へ伝わっていった。
?垂拱元年?9月18日午前9時、長安宮廷衛(wèi)隊と2人の調(diào)教師が2つの大きなかごを取り囲み、東に向かって長安を出発。一行は揚(yáng)州に到著し、船で遣唐使とともに日本へ向かった。『日本書紀(jì)』によると、則天武后はこの時、2頭の生きた雌雄の「白熊」と、毛皮70枚を日本の天武天皇に贈呈したという。この?白熊?はパンダのことである。(?垂拱(685~688)?は唐睿宗李旦の年號だが、則天武后が朝政を牛耳り、唐睿宗には実権がなかったことから、?垂拱?は則天武后の年號とされている)
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