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文蕓評論家?藤井省三教授:村上春樹のなかの中國 |
発信時間: 2009-05-20 | チャイナネット |
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日中戦爭を知れば知るほど、日本という國家システムの怖さを感じる ──ほんとに重いことです。戦後の5、60年代には戦爭と歴史に対する反省の小説が比較的多く出ましたが、その後、日本ではだんだん衰えていきました。村上はずっと文壇の常識の枠外で活動を続けていますが、これも1つの例でしょうか。 村上の後期の創作はますます社會にコミットメントしてきており、もはや、初めのころにみなが認めた「軽いタッチのモダンな」ものではありません。村上にとって、戦爭と中國は歴史の問題である一方、日本社會を理解するカギなのです。 ──今日の日本社會も含めてですか? そうです。彼は、日中戦爭について知れば知るほど、日本という國家システムの怖さを感じているのです。村上は、日本社會のある種の深層構造は少しも変わっていないと見ています。このような考え方や憂慮は『羊をめぐる冒険』や『ねじまき鳥クロニクル』の中にも続いています。
──そうですね。「先生」の體內に入った「羊」は、「先生」を通して邪悪な力を行使する。戦前は中國東北(偽満州國)で悪事を働き、戦後は日本で政治、経済、メディアを操る右翼の頭目となる。歴史の問題はまったく解決されずにこうして曖昧に過ぎてしまった。 社會のロジックが変わっていないこと、それを彼は懸念しているのです。だから村上は『ねじまき鳥クロニクル』で『羊をめぐる冒険』のエピソードをもう1度語るのですが、紙幅は3倍増え、しかも中國東北とモンゴル國境における交戦を正面から論じた。これで村上の意図がより明らかになりました。つまり、現代日本の過去の暴力行為を探究することです。たとえ主人公が戦後生まれの日本人青年であっても、たとえ「僕」の生活が室內楽やスパゲティ、貓から成り立っているものであっても、歴史と正義は依然として最後に直面する問題なのです。この小説の中で、かつて「妻」は「僕」が自ら手を下していろいろなものを抹殺する必要はないのだと責め、問題を回避した結果を暗示する。小説は、このくだりの話から出発していると言ってもよく、同時に當時の日本の対中侵略と現代の平和憲法のもとで進む國家の暴力的システムが交錯して描かれる。こうした考え方は彼の旅行記『辺境?近境』(中國旅行記を含む)や『遠い太鼓』の中でも語られています。 ──村上が中國へ來たのは十數年前のことです。大連、長春、內蒙古を訪れたらしい。私が覚えているのは、彼が長春動物園でパンダを捜したことと虎の子を抱きしめて寫真を撮ったこと。でも、彼の主な目的はノモンハン事件の跡地に行くことだった。大江健三郎氏のように、彼がまた中國へ來るかどうかわかりませんが。 村上は中華料理が食べられず、この前中國に來たときはつらかったと言っているので、敢えて來るようなことはないでしょう。でも、私は、これは口実だと思っています。村上は話をするのが好きではないが、いったん舞臺に押し出されれば、やはり自分の考え方を率直に語るはずだと思う。最近、彼がエルサレムで行った講演もその1つの例です。中國に対して村上は今のところまだこのような狀況は避けたい、だから來ないことを選択しているのです。そのほか、父親と歴史という理由もあり、彼の中國に対する思いは複雑なはずです。やはり引き続き見守りましょう。 ──今年の夏には彼の新作『1Q84』を読むことができます。引き続き戦爭が話題になると聞いており、再び中國が描かれる可能性もあるようです。今日のお話で、村上は、孤獨で自由な若者が都市で「いかにモダンな暮らし方をするか」という手本を提供する一方、彼の小説には歴史に対する思考やより厳粛な文學への挑戦が隠されていることをさらに確信しました。日本でも中國でもみな、古い伝統がすでに崩壊し新たな基準がまだ確立されていない、かなり混亂した社會の中で暮らしています。私たちはどのようにして「正しい」方向性を見出すことができるのか。これが、村上作品における大切なメッセージなのでしょう。今日はお時間をいただき、ありがとうございました。 私もあなたとお話しできて嬉しかったです。 (冒頭の村上春樹の言葉は、『中國時報』紙1998年8月5日付の洪金珠記者による『村上春樹的霊魂里住著中國印記(村上春樹の心に潛む中國の記號)』からの訳出) 「北京週報日本語版」より2009年5月20日 |
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