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中國人留學生が見た中日の?奇異?─使われない車 |
発信時間: 2010-01-02 | チャイナネット |
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文=薩蘇 日本で十年余りも暮らしていると、中日文化の違いに次第に鈍感になってくる。初期のころ感じたカルチャー?ショックはすでに薄れているが、日本にやってきたばかりの留學生と話すと、彼らは、口々に“奇異”に思うことを挙げる。それらの“奇異”は聞いていると、笑いたくなるものもある。例えば、中國人留學生の目に映る中日の“奇異”の一つは、「使われないクルマ」というものである。 日本はクルマ王國といわれ、その印象は、中國人の頭に強く焼き付いている。鄧小平は名古屋のクルマ工場を見學し、現代化とは何かを知った。日本はまさに世界のクルマ生産大國であり、トヨタ、三菱、日産、ホンダなどのプレートをつけたクルマは世界各地に見られる。ゆえに、中國人留學生は、日本にやってくる前、日本はアメリカのような「タイヤの上の國」だと想像している。けれど、日本に到著すると、彼らは日本人の外出時、その多くが電車を使うことを知る。社會的地位が高い人さえ、みなと一緒に電車に乗る。電車のなかで大相撲の力士を見かけることも珍しくない。日本のほとんどの家庭は、クルマを所有しているが、その多くはそのまま置かれ、休日に子供と遊びに出かけるか、または買い物の時にだけ使われる。十年以上も使っているのに、數萬キロしか走っていないクルマもある。中國の家庭のクルマは、その距離を一年で走るというのに。 中國では、クルマを所有することは、自慢であるうえに便利である。所有者は、クルマで出勤する。この一點においてはアメリカに似ている。所有者でありながら運転しないのであれば、それは中國でよく言われる「手潮」である。(運転の下手な者がなぜ「手潮」と呼ばれるのか、私はよく知らない。が、おそらく下手なドライバーほど、運転時に手に汗をかき、それが手を濡らすからだろうか) 中國人になぜ出勤にクルマを使うのかと聞けば、各種の答がかえってくるだろう。クルマのほうが速い、クルマを持つのは地位と名譽の象徴だから、など。どうであれ、バスや地下鉄で他人と押し合いへしあいしながらの出勤よりも、羨まれるものである。 それなのに、日本人がクルマを持ちながら使わないのは、中國人にとっては、悩ましい。けれど、日本をよく知る者にとっては、別に不思議ではなく、中國と日本のマイカー出勤の優劣を比べてみれば、自ずと理性的な結論がでる。 まず、日本の都會では、一般自動車道は、時速40~50キロに速度制限されており、対して電車の速度は、時速100キロ、そのうえ信號がない。多くの線路は、できるだけカーブのない、直線に設定され、両地點の間の走行距離は、クルマに比べ長いものではない。マイカー通勤はどうしても電車に劣る。 けれど、中國では、地下鉄はまだそれほど発展しておらず、通常の通勤の公共交通はバスである。バスと乗用車が同じ道路に並べば、小型で、動きがよく、細い橫丁を抜けて進む乗用車のほうが速度が速い。 また、日本では仕事のストレスが高く、多くの人々は朝から深夜まで會社のために奮闘している。このような狀況下、もしマイカー通勤をすれば、ドライバーは、交通事故が起きないよう、気力をふりしぼらなければならない。中國人も仕事のストレスも高く、最終便に間に合わない時間まで殘業することもあるが、もしマイカーがあれば、家に帰ることができる。もし、殘業がなければ、中國人は、息抜きの活動や、友達との集まりに好んで參加し、様々な異なる會社の友人と集まるには、マイカーが便利である。 日本は土地が狹く、土地一寸、金一寸、ゆえに大きな建築物の周囲に駐車場が少なく、あるにしても料金が非常に高い、ということもある。中國では、法の目こぼしにより、路上駐車はどこにでも見られ、駐車難の問題を解決している。 さらに、もう一つの原因として、クルマの普及により、日本人はクルマを成功者の証とはみない、ということもある。このような落ち著いた態度でマイカー通勤に対するため、日本は「タイヤの上の國」にはならないのだ。このあだ名からすると、隅々まで電車のネットワークがいきわたっている日本は、「レールの上の國」と稱えられるべきだろう。
?人民中國インターネット版?より2010年1月2日 |
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