前新華社東京支局局長 冮冶
日本語の「根性」という言葉には、性質(zhì)などとは別に、意思の強さや闘志という意味があり、日本人が物事にあたる時には、いつもこの「根性」の中にある一途な真面目さを感じさせる。または1は1、2は2という真面目さであり、「だいたいこの辺で」というやり方はほとんどしない。
卵は立ちます
大學(xué)生時代に私はある雑誌で、「卵は立つことが出來るだろうか」という日本語の文章を読んだことがある。たぶん誰も普通の狀態(tài)で卵が立っているのを見たことはないだろうし、卵が立つかどうかについて考えることもしないだろう。
しかしこの文章では、膨らんだほうの卵の底の構(gòu)造を分析し、普通では見分けられない3つの支點で卵は立つとしていた。私も卵を立ててみたことがある。確かにどこも壊れていない卵が立った。ただ手の使い方に手間取っだけで、何度繰り返しても卵は立ち続けた。
日本製品に感じる「職人くささ」
日本人は本當(dāng)に一途に研究をする。世界のほとんどのカメラマンが専用カメラとしてニコンとキャノンを使っているのを見ると(私が東京で見た限りは)、そう考えるのもそう難しいことではない。日本人は留まることなく最高のものを追求するようだ。
この日本人の「根性」にある特有な意気込みは、確かに多くの成功例を?qū)Гい俊%Ε┅`クマンやインスタントラーメン、カラオケはその際たるものだろう。日本の「大きな発明」は歐米とは比較にはならないし、中國の四大発明に対しても日本人はとても敬慕している。
しかし応用技術(shù)など多くの分野では執(zhí)拗に研究を重ね、製紙や印刷、機械の製造などでは世界のトップクラスに躍り出た。日本の製品にはある「職人くささ」を感じさせるが、多くの國際的な陸上競技大會で使われている砲丸が日本の工場で手作りされているという話を聞くとそれもうなずける。
中國の「陶磁器」がボールペンの先に
かつて磁器は中國を代表していたと言っていいだろう。しかし今の、日本の精密セラミックスに関する研究や応用には本當(dāng)に感嘆させられる。日本の京セラは、「陶磁器」をボールペンのペン先にまで使い、摩擦に強く錆びないセラミック包丁などのキッチン用品からセラミックナイフといった日用品は、マーケットでの大きなセールスポイントだ。