中國文物學(xué)會(huì)の羅哲文會(huì)長(zhǎng)(左)と駐中國日本國大使館の川上文博參事官(右)が、銅像前に花輪を獻(xiàn)上した。 |
中華社會(huì)文化発展基金會(huì)「梁思成銅像建立組織委員會(huì)」と中國政協(xié)新聞社が共同で主催した「古都の恩人?梁思成」講演會(huì)が24日、北京で開催された。同講演會(huì)において、梁思成の銅像序幕式が、今年10月31日の「平安遷都1300周年祝典」で行われることが明らかになった。
清華大學(xué)美術(shù)學(xué)院の李象群教授工作室で制作された梁思成の銅像は、24日の講演會(huì)現(xiàn)場(chǎng)でお目見えした。講演會(huì)に出席した中國文物(文化財(cái))學(xué)會(huì)の羅哲文會(huì)長(zhǎng)と駐中國日本國大使館の川上文博參事官が、銅像前に花輪を獻(xiàn)上した。梁思成の銅像(胸像)は、奈良県政府に寄贈(zèng)され、奈良県文化會(huì)館に永久保存される。梁思成記念銅像は、日本國內(nèi)の一部都市にも建立され、一連の記念イベントが開催される予定。
清朝末期の著名政治活動(dòng)家?啓蒙思想家だった梁?jiǎn)櫝伍L(zhǎng)男?梁思成(1901-1972)は、有名な建築家。第二次世界大戦中の1944年、連合國軍は日本本土への大規(guī)模な空襲を展開した。當(dāng)時(shí)、「戦爭(zhēng)地區(qū)域文化財(cái)保護(hù)委員會(huì)」の副主任だった梁思成が、「京都と奈良を爆撃しないように」と連合國軍に提案したことで、千年の歴史を持つ古都は爆撃から難を逃れた。このことから「古都の恩人」「人類文化遺産保護(hù)の先駆者」と稱えられている。
「人民網(wǎng)日本語版」2010年4月26日