映畫を語る
「暴力シーンで観客をKOしたい」
新京報:撮影シーンの中に、なぜあれほど何度も暴力描寫を入れているのですか?
北野武:暴力は暴力でしかないってこと。暴力シーンでお客さんをKOしたかったんだ。暴力がどれほどまでに慘いものなのかを分からせてやりたい、と思ってね。どんな描寫にすべきとか、どれくらいまで野蠻にすべきとか、まったく考えなかった。もしかしたら、映畫を観て席を立つ人もいるかなとは思っていたけど。でもそれは俺がわざと作り出したものなんだ。観客に強烈な痛みと恐怖を感じさせてやりたかった。それが暴力の本質なんだ、って。俺は暴力を美化して撮影するのは一番嫌いなんだ。暴力を美しいものなんかにしちゃったら、子どもを悪の道に誘うのと同じだと思う。
新京報:あれほど殘酷なシーンをどのように考え付いたのですか?たとえば、電気ドリルで口に穴を開けるとか、耳の穴に歯ブラシを突っ込むとか。
北野武:基本的にぜんぶ、普段の暮らしの中で得たヒラメキかな。どんな映畫を撮ろうかと考えるとき、まず畫面を描いてから、全體のストーリーを考えるようにしているんだ。今回の映畫の電気ドリルのシーンは、歯醫者に行った時の経験をもとにしてる。歯醫者で寢ころんでると、醫者がどっかに行っちゃってね。目隠しされてるから何にも見えないんだ。歯科衛生士とか他の醫者とかが俺の橫を行ったり來たりするんだけど、誰も話しかけてくれる人はいないし、不安になって、余計なこと想像しちまったよ。「ここがヤクザの本部で、あいつらはみんな殺し屋で、電気ドリルで俺の歯に穴を開けるんじゃないか?」なんてね。その後、面白い考えだと思って、治療が済んでからメモ出して書き留めたんだ。映畫のあのシーンは、その時の想像がもとになってるんだ。