カメラマン?六渡達郎さん
四合院を改造した雰囲気のあるカフェや雑貨店などが軒を連ねる北京のお灑落ストリート「南羅鼓巷」。ここがまだ観光地化されていなかった2007年、日本人として初めてカフェをオープンさせた人がいる。
六渡達郎(ろくど?たつお)さん(44)だ。店で出される「神奇的杏仁豆腐」は六渡さんの手作りで、その美味しさには日本人のみならず外國人も舌を巻く。しかし、それほど美味しい杏仁豆腐を作る六渡さんの本職はなんとカメラマン。さらに六渡さんは演出家としての顔も持つ。2010年2月、日中合作の舞臺『青木さん家の奧さん』で企畫から腳本、演出までを一手に引き受けた。
寫真、カフェ、芝居の演出と一見すると何のつながりもないが、実は一本の糸で連なっている。今回は多才な顔を持つ六渡達郎さんに、なぜ北京に來て、カフェを開き、芝居を演出することになったのか、そのいきさつを語ってもらった。
■カフェ?オープンへ 闘志に火を付けた一言--「“豆腐”が好きなの?」
カメラマンとして相當のキャリアをお持ちですが、どうしてまたカフェを開こうと?
南羅鼓巷の脇に日本でいうと日蕓(日本大學蕓術(shù)學部)に當たる大學、中央演劇學院があるんですが、日本で演劇の撮影をしていたこともあって、この學校に通っている日本人の知り合いがいたので、いまほど観光地化されてない時代に何度も(南羅鼓巷に)行っていました。ただ2005年に拠點を移したばかりでまだ仕事もないですし、學校に行くっていう感じもなかったんで、その南羅鼓巷のカフェを友達の友達から紹介してもらって內(nèi)モンゴル人の店長がいるカフェに入り浸ってたんですよ。片言の日本語をしゃべってくれたりとかしているうちに、本當毎日のように通ってご飯はそこで食べて、場合によってはそこの洗い物とか洗っちゃたりして。
そこには日本人もたまに來るんですけど、北京って意外にスイーツとかってあまりないんですよね。しかも杏仁豆腐って中國のものなのに意外にない。日本だとコンビニにプリンみたいな杏仁豆腐があったり、中華食べたら締めは杏仁豆腐っていうふうになったりしているぐらいのものなのに、北京に実際來てみるとない。それでカフェでいろいろ話をして「日本人もここ來るんだし、杏仁豆腐とか出せば、人気が出て売り上げが伸びると思うんだけどね」って何気に言ったんですよ。そしたら、そこのオーナーが「豆腐が好きなの?」って聞くんで、「豆腐が好きです。」ってそのまま答えたら大爆笑になったんです。「おっかしいな。なんでなんだろう」とかって言ったら、あとで隠語(「豆腐」は女性の柔らかい肌を連想させるところから、胸や尻を指し、「豆腐が好き」は「私はスケベです」という意味がある)だったってことがわかったんです(笑)。
その時に「くそお、そんなに笑いやがって」「じゃあ本當においしい杏仁豆腐をくわしてやる」って思ったんです。そこから、いろいろ材料を探して自分で作っちゃったんですね。何度かの試作を繰り返しながら、完成にいたるんですけど、作ってみたら意外においしいものができて。南羅鼓巷のカフェって白人も集まる場所だったりしたので、「これが杏仁豆腐か」みたいな感じで結(jié)構(gòu)受けたんですよ。
それから家で作って持って行って販売したり、日本人のパーティーや集まりなどに出したりしてると、どんどん人気が出てきました。雑誌とかで取り上げられたりもして、杏仁豆腐が一人歩きし始めたんです。するとある時、一緒にカフェを開きましょうっていうパートナーが現(xiàn)れました。杏仁豆腐を作っていく中で、そういうふうに転がってきたわけです。そうして「カフェ?イルソーレ」っていう名前で南羅鼓巷に2007年に店を出しました。
ただ1年も経たないうちに、中國人のパートナーが體壊したりとか調(diào)子が悪いとか言って、経営から外れることになったので、南羅鼓巷からいまの場所(麥子店の龍寶大廈1F)に引っ越しました。っていうのも、中國って不動産トラブルとか結(jié)構(gòu)多いじゃないですか。それで胡同のローカルの大家さんと外國人が直接やり合うっていうのは結(jié)構(gòu)大変だと思ったので。これに加えて、ちょうど2號店を出さないかみたいな話をビルの不動産屋さんからも話をいただいていたので、2號店ではなくってこっちに引っ越すことにしたんです。それが2007年の10月ですね。
「神奇的杏仁豆腐」
杏仁豆腐が結(jié)んだ縁というわけですね。杏仁豆腐もそうですが、どのメニューに対してもこだわりをすごく感じますね。
楽しんでいる部分があって、ほかの雑誌とかでもよくいうんですけど、杏仁豆腐作るにしても料理作るにしても寫真の現(xiàn)像と同じなんですよ。現(xiàn)像って、いまはデジタルなのでもう現(xiàn)像するっていうことはないんですけど、フィルムがあって、現(xiàn)像液、停止液、定著液、で水洗いしてっていうのがあって。それは溫度管理が必要だったり、薬品の分量だったり、そのタイミングだったりっていうのがすごく大事で、それをこうやっぱり溫度が1度でも違うと違うものができあがったり、分量が少しでも違うと、思っている寫真ができなかったりとかするんですよ。だから考えてみると、料理も化學変化と同じで、砂糖や塩の量が違えば味も違うし、かき混ぜるタイミングが狂えば、硬くなっちゃったり、滑らかさがなくなったり、丁寧にやろうと思えば、フィルター、ざるで濾したりとかって、手間を加えれば加えるだけいいものができるので。もの作りという點では同じだなと。
料理は元々よくされていたんですか?
やったというほどやってないですね。知識があるとすれば、寫真をとりながら、グルメ雑誌の仕事をしたりとか、料理の寫真を撮ったりするなかで、覚えていったっていうことですかね。
いまの「カフェ?イルソーレ」