文化には國境がなく、互いに影響し合っている。しかし、各國は大抵自國の必要に従って文化を吸収し、自國の人々の実際の需要に従って発展させていくものであるため、次第に文化の違いが生じるようになった。中日両國には2000年余りにわたる友好的往來の歴史があるので、両國の文化には確かにいろんな面で共通點が見られる。しかし、共通か相違かにかかわらず、それらはいずれも人類文明を豊かにし、しかも相違があるからこそ、相互補完的な関係が成り立つのだと私は考える。
一、考え方の相違
人の考え方は生活環境と切り離せないものである。中國は土地が広く、物産が豊富で、歴史が長くて豊かな文化を持ち、何か事が起きた時には大きいところに目を向けるため、中國人はマクロ的な思考に長け、太く粗削りなところがあり、「壯大」、「堂々とした」、「大規模な上に何でもそろう」ことを求める。日本人は狹くて細長い島國で生活しており、低くて小さい景物に接することが多く、溫和な海洋性気候の環境の中では非常に細かい思考形態が醸成されやすいため、日本人は「細部が成否を決める」という考え方を提唱するようになった。
日本は資源に乏しく、災害が頻発し、危機意識が強く、何か事が起きた時は小きいところに目を向けるため、ミクロ的思考に長け、細い點を重要視し、「小さくても心はのびやか」、「少なくて精緻」、「小規模だけれど何でもそろう」ことを好むのである。
中日両國の考え方はそれぞれの特徴を持ち、どちらにもメリットとデメリットがある。中國人のマクロ的な思考を日本人のミクロ的な思考とをうまく結びつけて事業を展開していけば、より完璧になるのではないか。このため、二つの異なる考え方には「ウィンウィン」の相互補完性があると言えるのだ。
二、行動様式の相違
行動様式は生活している國の歴史と體制と無関係ではない。中國は悠久な歴史の長い流れの中で、王朝の交代が頻繁に繰り返され、それに加えて、天子が変われば臣下も変わり、王朝が変わると命令法律も変わったため、庶民はこの変化に追いつくことが難しかった。複雑な政治的環境によって、中國人獨自の聡明な知恵が培われ、自己保護に長じ、人間関係を重視し、柔軟性、融通性、遠大な見識を持ち、戦略と戦術を重んじるようになった。
日本人は長い間萬世一系で、戦亂が少ない、比較的平和な環境の中で暮らしてきた。天皇制はすでに125代も続いており、非常に長い間、王朝交代が起こっていない。近現代に入ってからは、首相、內閣が次々に交代しても、その官僚體制には変動がなく、しかも決定的な役割を発揮しているため、各種制度の変化はあまり大きくないと言える。150年余り前の明治維新は、日本の近代化に思想と理論的な基礎を築き、日本は法治國家に向かって一歩一歩國家建設を進め、それに伴って、法制と公衆道徳の教育が重要視されるようになった。これによって、日本人は法規を守る習慣を身につけるようになった。法律を守るのは良いことだが、日本人は常軌を逸すことを非常に恐れ、利他意識が強く、人に面倒をかけることだけを気にしている。これらは日本の「恥の文化」によるものだ。柔軟性、融通性に優れた中國人に比べて、日本人はしきたりどおりに事を運びたがり、ひいては柔軟さに欠け、融通がきかないほどの域に達する時さえある。
言うまでもないことだが、柔軟な融通性に優れた中國人としきたりどおりに事を運ぶ日本人が互いに學び合うことができれば、長所と短所を互いに補完することができるに違いない。