このような連続史観に、戦後の日本に漂った「一億総懺悔」論が加わって戦爭責任追及に対する注意をそらしたこと、また進歩勢力の軍國主義への反発努力により、戦後數世代の人々は仕方なく過去の戦爭に対して弁解すると同時に、永遠に反省せざるを得なくなった。
だが、中日間においては、反省に対する立場が逆転しているだけでなく、その內包と外延、方法や結果等に対する認識まで違う。
一世代前の日本人は確かに中國に対し申し訳ないことをしたと感じている。一部の人がどれだけその侵略行為を合理化しても、心の中の「罪悪感」を抹消することはできない。1972年、中日國交正常化以降、日本は中國に対し一連の援助を行ってきた。中國國內で、これらがめったに取り上げられないことに対し、日本は不満を持っているものの、いつも大きな主張へはつながらない。これは、その「罪悪感」によるものである。
しかし、時が移れば事情も変わる。今は飛行機やインターネットの世界的普及など、新しい時代に突入している。筆者から見れば、歐米留學経験の有無に関わらず、現代日本の若者たちの頭の中での伝統的な歴史観と歐米の現代思想の比率は、大きく変化した。
彼らにとって、一世代前に罪があるとしても、その罪を償ったり謝ったりするのは自分たちではない。祖父、曽祖父の行為と自分に何の関係があるだろうか。また、歐米の所謂「自由」「平等」思想の影響で、國家間においても対等に向き合うべきだという意識が高まっている。そして、中國人の心に根強く殘る「歴史問題」も、彼らの目には、中國はとかく「歴史問題」で日本を非難してくるのだというふうに映っている。
(2)嫌悪:中華思想
先日、中國人の同僚から聞いた話だが、近年、日本で中國語や中國関連問題を教える日本人教師の間で「親中派」が減少し、代わりに、若い「嫌中派」が増えているという。これらの若者教師は、その前の世代の教師より中國語のレベルが高いうえに、ほとんどが中國への長期留學を経験しており、中には中國の有名大學の修士や博士課程修了者までいる。しかし、彼らの中に、先輩教師のような中國ファンはおらず、表面的には客観的に中國を見ているようで、実は「嫌悪」感を持っている。