中國新聞社は13日、舊日本軍の第6師団騎兵第6連隊の伍長だった故?牧野信人さんの従軍手帳に、「十二月十三日 綿花地ノ戦斗參加 南京陥落ス 十二月十四日 村上少尉ト斥候トナル(約三百捕領ス 全部殺ス)」という記述があったと伝えた。
熊本近代史研究會は最近、日本軍戦略戦爭と南京大虐殺に関する貴重な資料を手に入れた。事務局長の広島さんによると、これらの史料は牧野さんの遺品で、牧野さんの息子の久仁博さんが今月7日に提供したという。牧野さんは1909年に熊本に生まれ、1937年12月13日に南京戦に參加、1939年5月6日に戦死した。
広島さんが送ってくれた牧野さんの資料によると、この日記は1937年7月27日に始まり、亡くなる1日前の1939年5月5日で終わっており、內容は簡潔に軍の重大な事件を記録し、1937年12月14日には300人の捕虜を殺害したという記述もある。
捕虜殺害に対して熊本近代史研究會は「國際法では、武器を捨てたり自衛手段を失って投降した兵士を殺してはいけないと定めている。この300人の捕虜殺害は明らかにその規定に違反しており、まさに虐殺だ。また第6師団は一貫して南京大虐殺への関與を否定しているが、多くの史料からこの師団が南京大虐殺と深く関係していることは明らかで、そういう意味からもこの従軍手帳は大きな意義がある」としている。
そして広島さんは「南京大虐殺で殺害された人數は様々な議論があるが、殺された人數よりも舊日本軍が南京大虐殺を実施したというこの歴史事実が何よりも重要だ」と語る。
「中國網日本語版(チャイナネット)」2010年12月14日