「環球時報」はこのほど、中國企業の海外戦略をめぐる中國社會科學院(社會科學アカデミー)日本経済學會の白益民理事の論考を掲載した。主な內容は次の通り。
中國と米國は昨年、人民元切り上げの是非をめぐって、外國為替市場で手に汗を握る駆け引きを繰り広げた。目を日本に転じると、日本円が上昇して日本経済は全面的に衰退したとの見方が一般的だが、日本の海外資産が膨張したことや、世界で日本の資源や産業に対するコントロール力や浸透力が強まったことが見落とされている。われわれは人民元の地域通貨化や上昇の過程において、日本から多くの経験と教訓を學ぶことができる。
日本の中國における浸透ぶりを例にとって考えてみる。1979年に日本の大平正芳首相(當時)が中國を訪問し、対中円借款計畫が策定された。これは改革開放の初期にあたり、資金不足に悩む中國にとっては紛れもなく「雪中の炭」だった。借款の金利は前期が3-3.5%で、後期は0.75%に引き下げられたが、日本は1990年代にインフレ抑制のために銀行預金の金利をゼロにするなどの金融引き締め政策を採り、その中では対中借款の金利0.75%は相當なものだったといえる。日本円上昇の後、中國の借款の償還は米ドル建てでなく円建てとなり、これにより日本は大きな利益を獲得した。
借款の償還で直接利益を得ただけでなく、日本は當初、融資によって中國産業界に浸透した。1970年代の石油ショック後は、世界でのエネルギー戦略の引き締めにかかり、第一期対中円借款プロジェクトである大秦鉄道建設プロジェクトと秦皇島(河北省)ふ頭建設プロジェクトは、中國の石炭を日本に輸出することを目的とするものだった。