寫真1:日本人戦犯陰地茂一が撫順戦犯管理所に贈(zèng)った髪の毛
白と黒の簡(jiǎn)単なラインでショッキングな絵が描かれている。短剣を持った日本軍、顔は兇悪な骸骨のように描かれ、大砲は遠(yuǎn)くの村狙っている。これは日本人である島亜壇氏の版畫「砲火」である。
今年で「九一八事変(日本呼稱:満州事変)」が発生してから80年を迎える。4月初めから、中國(guó)政府が日本戦犯の「改造」を行わっていた様子を展示した「改造日本人戦犯記録展」が吉林省長(zhǎng)春偽満皇宮博物館の東北陥落史陳列館で開(kāi)催され、今後中國(guó)全土で巡回展示をする予定だ。
3カ月の展示期間中、日本人戦犯が「改造」される過(guò)程を記録した寫真が約170枚、文物が100點(diǎn)あまり展示されている。旅順戦犯管理所の衣服、毛布、醫(yī)療器具、將棋、囲碁、バドミントン、卓球、チャルメラ、太鼓などの生活や娯楽用品も含まれる。
これらの文物を所有している遼寧省撫順戦犯管理所は「特別な」監(jiān)獄だった。1950年6月、撫順戦犯管理所は設(shè)立され、982名の日本人戦犯と71名の當(dāng)時(shí)の「?jìng)螠褐輫?guó)」戦犯が収容されており、「改造」と教育を受けていた。
撫順管理所は戦犯に対し、人道主義に則った「三つの保障」政策を行っていた。つまり、「生活」、「健康」、そして「侮辱しないこと」の三つを保障するというものだった。當(dāng)時(shí)、食料の供給が不十分で、管理所の職員は毎日「窟頭」というトウモロコシや大豆の粉で作った粗末な団子を主食にしていたが、戦犯にはもっとちゃんとした食事が與えられていた。