寫真2:中國の某戦犯管理所 「改造」を受ける日本人戦犯
1956年、高級官職に就いていた戦犯を裁く法廷で、とても珍しい光景が見られた。裁かれている戦犯は皆揃って罪を認め、誰一人恩赦を求めるものはおらず、嘆き悲しみ、罰を受けることを望んでいた。
國際的な戦犯への量刑基準に従えば、死刑に処される日本人戦犯は100名以上に上った。しかし、中國政府は寛大に取り計らい、刑に処されたのは45名だけだった。1956年6月から1964年3月まで、撫順戦犯管理所に収容されていた日本人戦犯は、病死した1人以外は、全員無事に帰國し、これは「撫順の奇跡」と呼ばれていた。
展覧會では、日本人戦犯が罪を告白した文書や、戦犯が中國政府に送った謝罪の扁額、感謝の旗、そして彼らが帰國後に製作した日本が中國を侵略した歴史、中國での「改造」體験などを伝える絵畫が展示されている。
展示品の背景にはどれも感動的なストーリーが隠されている。例えば、ガラスケースに入った髪の毛。この髪の毛は戦犯である陰地茂一氏のものだ。彼は帰國後、訪問団を引き連れて8回も撫順戦犯管理所を訪れている。2000年、陰地氏はこの世を去ったが、彼は臨終前に自分の髪の毛を撫順管理所に屆け、「第二の故郷」に自分を埋葬して欲しいと家族に託していた。
もう一つのガラスケースに展示されている朝顔の種にも胸を打つようなストーリーがある。戦犯の副島進氏が1956年に日本に帰國する前、撫順戦犯管理所の職員だった呉浩然氏は彼に朝顔の種を渡し、「今度中國に來る時には、武器ではなく花を持ってきて欲しい」と伝えていた。帰國した副島氏はその言葉を忘れることなく、家の庭で朝顔を育て、種を近所に分けていた。2007年、副島氏が亡くなると、彼の妻は育てた朝顔の種を再び撫順戦犯管理所に贈り、「平和の花」として、永遠に中國と日本の人々の心に咲き続けることを願った。