市長の2つの攜帯電話
今回の震災後、日本人は政府の対応への不満はあるものの、全體的にはやはり政府を信頼していると見ることができる。
この信頼には、ちゃんとした根拠がある。私が接したことのある野村興児市長の話をしよう。
十數年前、私は山口県荻市で暮らしたことがある。當時、私は慶応大學から荻國際大學に移り、経済関係の課程を教えていた。月に一度、荻市の野村興児市長に會う機會があった。
野村興児氏はもともと日本経済産業省の官僚で、経済に詳しく、荻市出身だったことから荻市に戻り市長に當選した。1998年頃、彼は、市內の大學で教授として働く名門卒業の外國人がいることを知り、その私と會うことにした。彼も東大出身で私とは同窓ということもあり、話も弾んで、その後もよく會うようになった。當時、私たちは政治経済懇親會を立ち上げ、毎月居酒屋に集まっては、お酒を飲み、楽しく話をした。
彼はいつもきちんとした身なりで現れた。興味深かったのは、彼が常に2つの攜帯電話を肌身離さず持っていて、しかも、そのうちの一つは全く使用しないのに、いつもフル充電狀態だったことである。一度、朝トレ中に偶然會ったときにも、その2つの攜帯電話は彼のベルトの當たりにつけられていた。後に、好奇心を押さえきれず彼にその2つの攜帯電話の用途を尋ねてみた。彼は、一つは日常的な連絡用で、もう一つは緊急事態の際に市內のラジオにつないで、住民たちに直接災害情報をアナウンスするためのものだと教えてくれた。
荻市は3方向を海に囲まれ、半島のような地形になっている。臺風や地震等の自然災害も大変多く、暴雨の際には土石流にも対応しなければならない。野村市長の重要な日常任務の一つが防災や災害対策で、例えば、臺風が來る數時間前にはラジオや無線通信を使って漁に出ている漁船を呼び戻し、避難させなければならない。この時、市長は事前にその手順を定め、臺風の大きさによって発表する災害情報のレベルも決めてあるため、全てはそれに従って進められ、一大事が起こっても市長が慌てることはない。それにより、市民も慌てなくなるのだ。
「今こそ、記者は第一線に立つべき」