資料寫真
「子どもたちが全てに対し勇敢に立ち向かえるよう、諸葛亮の思想を教えてやります。」彼は言う。「草船借箭(草船で矢を借りる)」のように、苦境に陥ったときには自らの創(chuàng)意と思考をめぐらせ、それを受け入れることだ。彼また、子どもたちに「大きくなったら國際社會(huì)に大きく貢獻(xiàn)する」という「宿題」を課した。
しばらくして、彼は子どもたちの「答案」を受け取ることになる。3?11地震と津波が日本を襲い、ちょうど公務(wù)で日本に帰國していた彼は、そのまま救助活動(dòng)に參加し、中國に戻る日程を先延ばしにした。彼が日程を変更したことで、中國の被災(zāi)地の復(fù)興プロジェクトの進(jìn)展に影響が出るのではと心配していたちょうどその時(shí)、ニュースで中國の仲間たちの姿を目にした。農(nóng)村教師と學(xué)生たちが日本に寄付をしてくれたのだ。
「日本は過去數(shù)十年間、ずっと先進(jìn)國として寄付や援助を行う側(cè)にいました。今回、自分たちが重大な被害に遭い、ほんの少しの救援資金でも、それがどれだけ大切なものかということを痛感しました。…中國の子どもたちの行動(dòng)は、多くの人々にその溫かさを?qū)g感させることになりました。」
中國人の「感謝の気持ち」の表し方も様々ある。位坂氏はオフィスの下の胡同にある小さなラーメン屋の常連客なのだが、彼によると、「2両(1両=50g、中國ではこのように重さで麺類を注文することがある)を注文すると、お店の女將さんはいつも3両分入れてくれる」のだという。