青島侵略のため、日軍第四艦隊は航空母艦「龍驤」號、巡洋艦「足柄」號、軽巡洋艦「球磨」號、水上機母艦「能登呂」號、特設(shè)水上機母艦「衣笠丸」號等60余りの艦艇を動員した。1月7日、日軍艦隊は一斉に青島方向へと移動。1月10日7時52分、日軍第一波部隊は抵抗に遭うことなく、陸上戦部隊は13時45分、全員上陸完了。この間、姜哥莊で哨戒任務(wù)に當(dāng)たっていた2隻の軍艦が8時35分に海岸付近の高臺を約10分間砲撃した以外には特に大きな戦闘はなかった。15時30分、青島市政府を占領(lǐng)、18時30分には市內(nèi)掃討完了、青島を全面的に占拠した。
日本陸軍は青島占拠に対する自身の意図があった。陸上部隊の青島占拠が困難な狀況に気付くと、海上からも部隊を派遣、1月11日に青島港入りし、華北方面軍の基地を建設(shè)した。また、國崎支隊を1月14日に上陸させ、青島付近での警備任務(wù)に當(dāng)たらせた。交通施設(shè)が破壊されていたため、山東內(nèi)地から青島攻撃に向かう陸軍の動きは遅く、1月19日にようやく青島に到著、そして膠済沿線の警備配置が完了した。
華北植民地の中心をめぐる爭い
先に上陸した海軍が青島の重要建築物や施設(shè)、埠頭等を占領(lǐng)していたため、辺り一面に「海軍管理」の張り紙が張られ、港灣管理部まで設(shè)置されていた。これらの建築物の管理、警備方法について陸海軍の間には激しい摩擦と対立があった。雙方とも青島での協(xié)議では決著がつかず、1月27日、大本営陸海軍の調(diào)整によって、ようやく合意に達(dá)した。しかし、青島の第四艦隊と第二軍間の交渉がなかなか進まず、港務(wù)、郵務(wù)、電務(wù)等について、ようやく合意が得られたのは3月26日のことだった。この合意により表面的には問題解決となったが、間もなく陸海軍の華北統(tǒng)治の中心を天津とするか、青島とするかで、雙方の対立は再び表面化することとなる。