文=コラムニスト 陳言
資料寫真:高層ビルがいっぱいとなる東京の夜景
バブル景気の始まりの年と言われる1987年、日本の地価総額は1,673兆円に達した。國土面積が日本の25倍の米國全土の地価総額の2倍の金額に相當するほどに高騰したのである。マスコミの言葉を借りると「日本1つでアメリカが2つ買える」時代であった。そんな異常とも言える時代の中で、當然ながら日本國民は浮かれていた。土地神話が永久に続くものと誰もが信じ、日本列島というこの狹い島が、米國2つ、その他の國全部ほどの価値があるのだと認識していたのである。
かのマルコ?ポーロは著書「東方見聞録」の中で、「ジパング(日本)」のことを「中國大陸の東の海上に浮かぶ獨立した島國で、莫大な金を産出し、宮殿や民家は黃金でできている」と紹介している。中世~近代の歐州において、日本は「黃金の國」だと認識されていた。だが、18世紀になって日本を訪れた宣教師は、「実際に上陸してみた日本は、資源に乏しく、生産性も非常に低い」と紹介している。この時から、日本は歐州列強國の植民地支配の対象から外されてしまったのである。
1980年代には、日本は高度成長を遂げた世界有數の先進國に変身した。そこでまた「黃金の國?ジパング」説が、投資家の間で囁かれるようになった。実際に金を産出しなくても、土地の価格を見るだけで、日本がどれだけ経済的に豊かな國であるかが分かるというものだ。この狹い列島の地価総額がアメリカの4倍になろうというのだから。日本の土地が、黃金を掘り當てた場合と匹敵するくらいの巨額の資産価値を持つことに、人々は気付き始めるのであった。
その頃中國は、國策である改革開放(1978年~)実施からすでに10年近くが過ぎようとしていたが、中國國民には、地価や不動産価格の概念がまだ生じていなかった。私は當時、日本に留學中であったため、1億人総浮かれのバブルとその崩壊を目の當たりにしている。その経験や教訓を、今、同じくバブルの真っただ中にいる中國人達に伝える事が出來るかも知れない。
◆土地と株式の投機熱