やるべきことはまだ山ほどある
熊谷氏は津波で自宅を失い、養(yǎng)老院を改修した緊急避難所に身を寄せている。この數(shù)日、寢ている以外はほとんど陸前高田の損壊した文化財(cái)の保護(hù)に當(dāng)たっている。その中で一番重要なのが、市立の海?貝のミュージアムだ。グループと一緒に収蔵品の救出に向け第1歩を踏み出した。
魚(yú)網(wǎng)や和服に著いた塩を洗い落とす、じくじくと濕った本を乾かす、歯ブラシで骨製の工具をきれいにする、カビよけのためアルコール処理する……。
古い馬の鞍に精米機(jī)、神社のわらの裝飾と、屋內(nèi)には過(guò)去の記憶が一杯詰まっていた。「やるべきことはまだ山ほどあります。どれほどの時(shí)間がかかるか分かりませんが」と熊谷氏。
數(shù)多くの最も重要な文化財(cái)、あの數(shù)本の剣や歴史の長(zhǎng)い日記などは、修復(fù)や保管のために別の博物館に移された。ミュージアムの職員は全員が津波で亡くなった。熊谷氏はこう語(yǔ)る。「私の原動(dòng)力の源の一部は、彼らを追想したいという渇望にあます。恩師の佐藤雅彥(音訳)氏も亡くなりました。地元の學(xué)者で、考古學(xué)を?qū)Wぶようになったのは、先生が勵(lì)ましてくれたからです」
博物館の再開(kāi)を心に決める