では何故、全頭の「セシウム牛」が、厳しい検査の網の目をくぐり抜けることができたのか?それは地方分権により、中央省庁?自治體間の行政運営體制が欠如していたことにあるのだと思われる。日本の地方自治體は、行政?財政の面においていずれも強い自治権を持っている。有事における政策制定の際にも、地方自治體がそれぞれの地域の実情に見合った政策を制定することができる。この度、地震?津波?原発事故という未曽有の大事件が広い範囲で発生したため、各自治體はその対応に追われ、余裕のない様子が明らかである。
「セシウム牛」のみならず、震災後に起こったすべての問題において、日本政府の対応の遅さが指摘されている。大地震から早や4カ月が過ぎているが、被災地の多くが依然として瓦礫の山が野ざらしにされたまま、撤去されておらず、見る者を辛い思いにさせている。なぜ、このような狀態のままなのか?それは瓦礫処理の費用および手順について、各自治體と中央省庁の間で折り合いが付いていないからである。この調整?指揮役をこなせる者がいないため、各自治體のなすりつけ合いが続き、被災住民の避難生活終結の日がいつまでも予想できない狀態になっている。この度の地震で日本の脆弱な體制が明るみになったと言えるだろう。菅直人首相を含む中央官僚が「セシウム牛」について國民に謝罪し、「國の責任」であることを明らかにしている。それはともかくとして、大きな事件が発生した際に素早く的確に対応できる行政運営體制を整えていくことこそが、中央官僚の使命なのではないだろうか?
?中國網日本語版(チャイナネット)? 2011年8月11日